誰がデッドエンド仕事を担うかという指摘

 NHK特集のワーキングプア以降、再び格差社会の問題に関する議論が熱くなっています。私は残念ながら見逃してしまい、再放送待ちなのですが。
 この報道によってフリーターやニートという言葉のみが先行していた不毛な議論が正常化されたのは意義深いものであったと思います。既に非正規雇用企業努力で正社員化させようといった対処療法で解決できる問題でないことが明らかになったと思います。これに関しては以下のエントリーがよくまとまっています。

誰がデッドエンド仕事を担うか

 濱口桂一郎氏のブログより
一昨日のエントリーに対していただいたメールが2つの点を指摘されています。第1は、サービス経済化や生産のモジュール化などの進展により低賃金・低技能・キャリアのデッドエンド的な仕事が増加しているという労働需要の構造変化の問題、第2は、デッドエンド型の仕事を社会の中で誰が担うのかという問題です。
 第2の方が簡単なのでこちらから考えてみます。かつては臨時工とか社外工という形で社会階層的に割り当てていたデッドエンド仕事を、主婦パートとか学生アルバイトという形で社会的排除を伴わずに遂行できるようになったことは、ジェンダー視点を別にすれば、社会学的には進歩だったと言えるでしょう。これが今崩れつつあり、若者から既に中年に到達しつつある「名無しの人材さん」という形でアンダークラスを形成しつつあり、高度成長期に確立したそれなりの職業人生と家庭生活から排除されてきつつあるというのが現在の見取り図だと思います。
 そこで、もう一度、かつての主婦パートや学生アルバイトのように、一定の社会集団に、社会的排除を伴わずに、デッドエンド型ノンキャリア就業を割り当てるとしたら、ありうるのは高齢者しかないのかなと思っています。以下省略……

 私もかつてほぼ同様のエントリー(id:kechack:20051127)を書いておりますが、フリーターを減らそうなんて口先だけの議論より、よほどわかりやすい切り口だと思います。私は日本国内からできるだけ付加価値の低い労働を減らすべきというのが持論で「タクシーは少ないほうがいい」という暴論を書いておりますが、まだ推敲が甘いので、また次回に話したいと思います。
 第1の問題であるサービス経済化や生産のモジュール化などの進展により低賃金・低技能・キャリアのデッドエンド的な仕事が増加するのは新自由主義政策の必然だと思われます。結局、新自由主義の本質は、労働コスト削減による企業収益回復ですから。労働者が直接賃下げに遭う機会はそれ程多くありませんが、労働コストが高位安定しているオールドエコノミーが衰退し、労働コストの低いニューエコノミーが勃興することにより、自然にマクロとしての労働コストは下がります。ミクロの世界での抵抗しかできない労働組合は無力であります。
 第2の問題は、主婦パートや学生アルバイトにデッドエンド労働を担わせる仕組みは、日本式経営と抱き合わせの存在であり、世帯主の扶養が前提にあり、扶養が期待できる人々を社会的にデッドエンド労働力として共用する便利なものでした。これは経済界、労働界の利害の一致の上に存在していまいましたが、自立した個を軽視する日本思想の象徴でもあったと思います。
 90年代の男女雇用機会均等法施行後、女性が徐々にデッドエンド労働から解放されましたが、皮肉なころに同時期にデッドエンド労働の需要が増えてゆくのです。結果的に相対手的に労働市場での市場価値の低い人間がデッドエンド労働の供給源となって行くのです。
 新自由主義には意外とフェミニズムに親和的で、女性の間で小泉首相自民党の支持率が高いのも、あながち関係なくもないという指摘を7/5のエントリー(id:kechack:20060705)で行っております。