A級戦犯へのシンパシー

 なぜか近頃、A級戦犯に擁護的、あるいはシンパシーを持つような意見が増えている。A級戦犯といっても各人立場も異なり、一概に言えない部分が多いが、元来保守派の中でもA級戦犯への評価は分かれており、保守派だからA級戦犯擁護ということでもなかった。現に石原慎太郎東京都知事東條英機に批判的であることで知られる。
 しかし近年の A級戦犯擁護的論の盛り上がりは何か?だたよく見ると、A級戦犯擁護=極右言説とも言えないことがわかる。本来は昭和天皇にこそ最も重い責任があり、その身代わりをA級戦犯が担わされたのは理不尽だとの意見もある。かつては天皇の戦争責任への言及は左翼の所作であった。企業の不祥事で社長だけ責任を問われずに、副社長以下重役人のクビを斬るといった処分は許されるはずはなく、昭和天皇に特別な感情がない現代人の常識的な意見かも知れない。
 また現代版一億総懺悔論みたいなものもある。いわゆる一部の指導者だけの責任か。当時も日本は民主主義であって有権者にも責任がある。一般大衆やマスコミの方が主戦論を唱えていたのではないかという意見である。この論説でA級戦犯を擁護すると、より日本の戦争責任を拡大解釈することになり、実は厳しいことになる。自分たちの親か祖父母の世代を糾弾することにもなる。これは何となく安保闘争時に戦争に協力したと親世代を白眼視していた学生たちを彷彿させる。いかがなものか?
 そう言っても、日本の政治的責任を曖昧にする言説が多いのも事実。私もA級戦犯にすべての責任を押し付けるのはいかがなものだが、責任がないがごとくのたまう意見には大きな疑問符が付く。