良識への挑戦−坂東眞砂子氏の子猫殺し発言にみる−

 坂東眞砂子の「飼い猫が産んだ子猫を殺している」と日経新聞に掲載されたエッセイが波紋を呼んでいる。坂東氏の論理の是非についてはいろいろな方が言及されし尽くされた感もあるのでここでは割愛する。私はこのような発言が出る空気についてふと思うことがある。特異な作家の特異な意見というより、明らかにこのような意見が出やすい時代の空気があると思う。なんと言うか「旧来の良識への挑戦」とか「本音をずばり言うこと」を賛美する空気である。これは最近の「若者の右傾化」として捉えられている現象とも地続きで、あれもマスコミや従来左寄りと言われていた*1知識人が構築した良識への挑戦でもある。
 横浜の堀病院の堀健一院長の無資格助産行為に対する開き直り発言もやや類似する。結局バッシングを受けたが、はっきり必要悪だと言い切るのは同業者にはすがすがしさを与えることもある。
 坂東氏の子猫殺しはこんな時代の空気でも流石に支持は広がらなかった。そこにはもう一つ微妙な空気も見逃せない。酒鬼薔薇事件以降、動物虐待により惨殺するような行為と殺人の連続性が認識されるようになり、動物虐待を行う人間を殺人予備軍と認識する意識が広がっていることだ。かつては動物虐待死は器物破損の微罪でしか裁かれなかったが、都道府県の動物愛護関連の法律が整備され、懲役刑に処される可能性*2も出てきた。ただこの法律は悪質ブリーダー対策で成立した側面が強く、一部の世論が求めているような動物虐待常習犯を殺人予備軍として認識し、予防拘束的に収監して嗜虐的なマインドをリデュースさせる処置を行う性質のものにはなっていない。
 坂東氏が支持されなかった点について、その「窓から落とす」という行為の残虐性にあった面も指摘しておく。小鹿物語のように泣く泣く動物を殺すという話であれば、「アニマルライツ的な進歩主義的良識への挑戦」ということで世論が拍手喝采する空気は、今の時代には十分あると思われる。

*1:最近は良識的な保守まで批判対象になっている

*2:器物破損でも最高は懲役3年でこちらの方が重いが、刑法上動物虐待死の量刑を重くする法的根拠がなく、高額の家畜を大量撲殺しない限り事実上罰金刑で終わる。