エリートを曲解する人。真のエリートは存在し得るのか?

 藤原正彦お茶の水大教授は「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」と主張している。
 真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。
 そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。

自民党稲田朋美議員だが、つっこみどころだらけだ。そもそも自分がエリートであることを前提に話しているようだが、こんなに論理が飛躍する発言を平気でする人間はせいぜい亜エリートが関の山ではないか。
 上記はむろん「国家の品格」の引用なのだが、私はこの本はある程度評価していて、この本を最近の日本の右傾化の象徴のように捉える人がいるが違うと思っている。この本が売れたのも小泉政治的なリバタリアニズムへのバックラッシュ的な雰囲気が背景にあり、伝統的保守主義にもリベラルな思想にも矛盾するものではない。
 話をエリート教育に絞ると、渡部昇一石井公一郎など保守系の論客がエリート主義を唱えることが多かったため、エリート主義は保守のものとの認識が日本では強かった。確かに80年代までは左は平等、右は差をつけるという暗黙の了解があたが、これはあくまでも共産主義というイデオロギーを介してのフォーメーションであった。しかし日本の戦後はエリートほど左傾化する傾向が強く、保守系知識人という存在が非常にマイナーになってしまうパラドックスを抱えていた。
 稲田朋美も冷戦時代の保守主義者と似た切り口でエリート教育の必要性を認識しているようだが、藤原正彦氏の一番言いたい部分を意図的にスルーしている。
 藤原氏はこう言っている。

国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義つまり主権在民が戦争を起こす。国を潰し、こちによったら地球まで潰してしまう。それを防ぐために必要なのは、実はエリートなのです。真のエリートというものが、民主主義であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険性を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。

 実はこれも冷戦時代の保守主義者の愚衆批判、選民政治的な論説とほとんど同じなのだが、ポピュリズムの中から誕生した彼女は、意図的にこの部分をスルーしたのではなかろうか。それに藤原氏の戦争を起こさないためのエリート主義の話を勝手に国の為に死ねるエリートの話に摩り替えている。
 私はある程度民主主義には期待しているので、藤原氏のようにはっきりと民主主義に否定的な態度をとることには首を捻るが、主権在民は戦争を起こすという指摘は正しいと思っている。たからこそ、好戦的なナショナリズムが煽動されやすい現在の日本の状況を憂い、それを利用しかねない政治家に強い憤りを感じているのである。
 ただ真のエリートとは虚像だと私は思っている。戦前の士官や今の官僚は真のエリートでない、だから失敗すると言っているが、エリートというのはどう突き詰めてもか完璧なエリートにはならず、失敗するものだと考えたほうがいいと思っている。この辺は長くなるので、また次回に言及したい。