コンパクトシティで地域再生―暮らしにくい町・暮らしやすい町―

 田原総一朗が好きではないのでサンデープロジェクトはあまり見ないが、興味深いテーマだったので見る。
一般に都市の郊外化は、アメリカからの外圧による91年の大店法改正により大型商業施設が郊外に次々立地し起きたと言われているが、実は公共施設が90年代に次々移転してそれを助長している官による失策であることをクローズアップしたこいとは特筆すべきである。
 バブルの頃、都市部の過密化が叫ばれ、地価の高い一等地に公的施設が立地するのは無駄であり、病院、公民館、保健所、中央図書館、法務局などの国の出先機関などの公共施設は郊外に移転し、空いた都市部の一等地を都市再生に活用し、都市の活力を更に高めようという議論が盛んに行われた。
 その議論が通用するのは大都市のみであるのに、地方都市でその議論が模倣されたところに間違いが起きた。地方都市にまで官製郊外化が起きた背景は以下の通り。

  • 地方首長・地方公務員の無能 大都市や国の都市政策の模倣
  • 「手狭だ!」という議論を煽り郊外に大規模な施設を作ることにより公共事業を大型化できる。地方交付金を持ってくるネタ作り。地元ゼネコンへの利益誘導。
  • 都市部の公共施設跡地も何かに利用できるだろうという見通しの甘さ。跡地活用でまた公共事業ができるという打算。
  • 地方首長・地方公務員のほとんどが日常的に自家用車を利用し、郊外化の弊害を実感できていない。

 ひどい話だが、住民のことを考えていない。国からいかに予算をひっぱってくるかと地元ゼネコンの利益しか考えていない地方政治の結果がこれである。
 現在、効率のいいコンパクトシティを作ろうという動きがあるのは歓迎しべきことだが、地方政府は今度は「コンパクトシティ」や「寂れた中心市街地の復興」で予算を付けようとしている。自ら招いた失政を回復するために新たな予算を要求する「マッチポンプ」であるところが嘆かわしい。
 地方政治のダメさ加減を鼓舞して地方分権を阻止しようとする中央官僚の思惑には乗りたくないが、地方政治は相当レベルが低いので、平気で無駄な予算の使い方をする自治体に金が流れないように、効率的な予算執行を行う自治体にインセンティブを与える制度に改めるべきであろう。
 本来は財源ごと地方に移譲して、独自性の高い行政を行うべきだが、地方政府のレベルもそれを監視すべき住民のレベルも?なので、なかなか難しい感じがする。