年賀状の配達が遅くなったけど

 今年は年賀状の配達が遅くなったというブログエントリーが目立つ。これについては郵政公社も事実を認めている。

 
 郵政公社に関しては年賀状遅配など些細な問題で、集配局の統廃合、ATMの廃止など地方を中心に合理化が進めているという重大な事実がある。これについて、郵政公社を批判したり、郵政民営化に関して「郵便局の利便性を低下させるものではない」と説明していた政治家を批判する声が高まっている。
 郵政公社或いは完全民営化後は独立した組織として合理化を目指すのは最初から見えていたことであり、口先で「郵便局の利便性を低下させない」と言った政治家は一級の詐欺師か、現実を知らない不勉強政治家かの何れかで、批判しても余りある。
 ただ安倍首相の支持率低下で都市部の若者を中心に未だに根強く存在することが顕かになっか小泉信者にとってはどうでもいい話のようだ。この前ある新年会で年賀状の遅配の話題が出たが、ある参加者は「日本がよくなるなら、年賀状の配達が多少遅くなってもいいじゃん」という声が出た。別に私だって年賀状の配達がおくれたって構わないとは思っているが、それで日本がよくなることは間違ってもない。この意見は未だに小泉のワンフレーズポリティクスに毒されている人が世の中にいることを知らされてショックであった。私はあの郵政選挙の時でさえ自民党議席を減らした北海道という特殊な地域に住んでいたのでいまいち実感がわからないのだが、自民党を圧勝させた東京というのはこういう地域なのかと思い知らされた。
 さすがに「田舎なんか潰れてしまえ!」とまでは言わないが、大都市中心主義への待望的な意見は都市部の若者には鬱積しているようだ。地方で各種行政サービスが低下するのは彼らのとっては当然のことのようである。「地方切捨て」的な政策を批判する意見は、彼らには与党支持をより強固にするものでしかないのではないか。