殺人事件の加害者のほとんどは身内

 「治安はほんとうに悪化しているのか」という本を読んだ。
 世の中には「治安は悪化している」というという言説が流れやすい。それはマスコミにとっても警察当局にとっても、政治家にとっても好都合だからである。我々は自分で信用できる客観統計を探すか、このような良心的な書籍を探してでしか真実をつかむことができない。情報化社会とは名ばかりの不条理な状況下に置かれてる。
 この書籍を読んで思うところは多々あるのだが、今日はその中で「面識率」について考えたい。

犯罪白書」では殺人事件の被害者と加害者との関係(面識率と呼ばれる)というものを発表している。平成7年度では約1400件の殺人・殺人未遂事件が発生しているが、そのうち85%が家族や顔見知りの犯行ということなのです。殺人の面識率は85%〜90%の間で推移しており、いわゆる無差別殺人や通り魔殺人は例外的犯行であることを示している。

 ちょうど家族によるバラバラ殺人事件が2件連続して起きているので、改めて『殺人事件のほとんどは身内の犯行』ということを再認識するいい機会である。殺人による被害者を減らすには一部の例外的犯罪の対策を論じるのは的外れで、これら身内の悲劇にメスを入れなければならない。
 これまでの防犯議論はどうも例外の方に視点が行っていたのではないか?例外的な凶悪犯の話であれば厳罰化により抑止力を期待する意見も出ようが、身内の殺人にその議論はなかなか通用しない。ドメスティックな殺人はどうしても情がからみ、一概に厳罰化の議論をする代物ではない。今回の渋谷区の主婦も3浪人生も恐らく無期懲役より軽い判決になるであろう。
 もちろん愛国心家族愛を教えれば済む代物でもない。家族愛は大いに結構であるが、家族が大事だと座学で学んだところで、実際に家族間の憎愛から憎の部分が消える訳ではない。そんな大上段の話でなく、もっと具体的で実践的な対応が必要であろう。
 いきなり話が小さくなってしまうが、マスコミは今回の事件では加害者や被害者の性格をさかんに取り上げている。夫を殺した主婦に対しては加害者の主婦の、妹を殺した浪人生に対しては妹の性格が問題視されているようだ。男性中心のマスコミが日頃自分の妻に対して鬱積した「女ってやだよね」的な感情を剥き出しにしたような感じがして非常に不快なのではあるが、「人を憎む」という心理の根源が、「自分は負けたくない」ということろに起因するのは確かなようだ。
 負けん気が強いのが決して悪いのではない。社会や学校(特に部活など)では、そのような性格は積極的に評価されることの方が多い。ただ勝ちたい気持ちが強すぎると、人間は想像を超えた憎悪の感情を発することがある。どこかで負けを認める自分とうのもないと非常に苦しいものになる。
 渋谷区の主婦は恐らく「自分はDVの被害者である」という存在になることを認めたくなかったのであろう。これはいじめ問題にも通じる。いじめ問題もいじめられっ子の多くが「自分がいじめられている」という立場を認めたくないが上に問題解決を困難にし、悲劇が生じているのである。
 行政や学校にも問題はある。「被害者を助ける」というミッションから被害者=弱者と決めつけ、最初から白旗を揚げて逃げ込む人が優先的に救済され、最後まで自力で勝負しようとする人が救済されないシステムになっている。被害者であっても、被害者扱いしないで自尊心を維持する対応をすることも必要である。