20年間何も進歩していない教育議論

 自民、公明両党は24日、衆院第1議員会館教育再生検討会(座長・大島理森元文相)を開き、政府の教育再生会議がまとめた第1次報告について協議した。会合では、再生会議事務局長を務める山谷えり子首相補佐官の説明に対し、出席者から「ゆとり教育」の見直しに異論が続出。政府に対し、来週改めて見直しの狙いなどを説明するよう求めた。
 会合では、これまでゆとり教育を推進してきた文部科学相経験者らが、授業時間数の10%増加などについて「知識向上に重点が置かれている。ゆとり教育が目指す人間力の向上が大事だ」などと相次いで反対論を表明……
 1/24 時事通信


 私も「ゆとり教育」は間違った政策だとは思っているが、「ゆとり教育」さえ見直せば問題解決だと思ってしまっている人が多いのには呆れる。「ゆとり教育」は日教組のしわざだと信じている人もいるようだが、当時かなりのコンセンサスを以って受け入れられたことを多くの人が忘れている。保守系の人も「知識偏重から人間性重視の教育」と言ってゆとり教育の方向を支持していた人が多い。
 80年代に何が問題になっていたかを思い出して欲しい。日本は欧米の模倣をして「追い付け、追い越せ」のスローガンで邁進した高度経済成長を追え、まさに成熟期を迎えていたのである。日本は既に模倣するものがなくなり、創造する立場になったのだが、日本の戦後教育は「平均点を上げる底堅い教育」であり、確かにこれは高度経済成長を支えるバックボーンにはなったのだが、より独創的で卓越した頭脳を排出することが求められたのである。
 「知識偏重の教育からより創造性を養う教育への転換」ということに関しては、多くのコンセンサスを得て、文部行政を後押しした。しかしなぜか「詰め込む知識」だけ減って「創造性を育む教育」ができなかった。結果として「底堅い平均点」を失っただけで、独創的で卓越した頭脳も生めない大失敗に終わってしまったのである。
 今「ゆとり教育見直し」で満足している人は、80年代の状況への現状回復だけで満足しているような気がしてならない。10年間で失ったものを10年かっかって取り戻して教育改革ごっこをした気になってはたまったものではない。今は「基礎学力の回復」と「創造性を育む教育」の両方を目指さなければならない。この二つは決して矛盾するものではないので、二兎を追うことにはならない。
 「ゆとり教育見直し」で満足している教育再生会議に対し、某文部科学相経験者は警鐘を鳴らしたのかも知れない。ただ未だに「人間力」という抽象的な議論をしているのは気になる。まさに20年前「ゆとり教育」を支持する保守系の人が盛んに使用した言葉だ。いかに20年間表面的な話に終始して、中身のある話をしてこなかったかを物語るようだ。