本当に賃金差=能力差か?

 2/10の読売新聞の社説はどうもしっくりこない。

【一部抜粋】
 代表質問での答弁で、首相は、「能力の違いに目をつぶって、結果平等をめざす社会をつくろうとは思わない」とも述べている。当然のことで、これを基本に具体策を練り上げていくべきだ。
  「格差是正」ばかりを強調する民主党への対抗を急ぐ余り、拙速で実効の乏しい政策になっては意味がない。じっくりと腰を据えて取り組むべきだ。
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070209ig91.htm

 今更、極端な結果平等を求めてる人はいるまい。、奥谷禮子氏の「格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう、能力には差があるのだから」という発言は、能力差=賃金差と単純化した極端な発言であるが、そこまではっきり言ってはいないが、読売新聞や安倍総理の姿勢は、能力差=賃金差であるような単純化が垣間見られ、これについても到底容認できない。
 90年代後半以降に民間企業で盛んになった賃金制度改革で、能力給化が進み、同じ会社の社員でも大きく給与格差が付くようになったが、この話に矮小化されてしまうと、能力差=賃金差という単純化がまかり通るが、同一企業内の賃金差など実は無視していい程の些細な話であり、世の中にある業種間、職種間、企業間の所得格差の方がはるかに大きいのである。
 例えば低賃金業種の典型である福祉産業。ここで働いている人は能力が低いのか?努力不足なのか?この業界で働いている人にもっと努力して別の資格を取って別の業種に転職を薦めるのが是なのか?高賃金業種の展開である、広告代理店の社員は能力が高いのか?
 私は別に極端な事例を挙げたつもりはない。一つ一つの業界の賃金水準を棚卸してゆけば、賃金と必要な能力は一致しないケースが余りにも多く、ほとんど関係ないと言った方が近いのである。業種間の賃金格差はその業界の付加価値創造性や競争の度合いや労働市場の需給バランスで決まるものであり、その業種で必要な能力で決める性質のものではないのである。
 穿った見方をすれば、格差容認論者は世の中に、能力が低いから、努力不足だから低賃金に甘んじても仕方ない職業が存在し、これらの職業の人間は子どもたちに努力しなかったらどういう未来が待っているという見せしめになるとでも思っているのではないか?
 低い賃金に甘んじている人を救済する方法は二つある。一つはその職業の社会的評価を高め十分な賃金を得られるようにすること。もう一つは所得が低くても文化的な生活が送れるようにすること。前者は一部可能な職種はあるが、市場における賃金決定のメカニズムを考えれば難しい。基本的には後者の政策をやってもらうしかないのであるが、安倍さんはどうもそれが嫌らしい。