強行採決すらポジティブに評価される時代

 自公の与党が社会保険庁特殊法人とする法案を特殊法人にする法案を強行採決した。
 私は与党の社会保険庁職員の非公務員化は小手先の改革で、年金制度そのものの問題の解決の何ら解決になっていないので、この法案を評価する気はさらさらない。世論も冷静で、小泉時代のように公務員の数が減るからいい法律だから賛成みたいな短略的な発想で賛成する人もそんなにはいない。かといって与党の強行採決に怒る人も少数で、冷静というより無理解、或いは無関心に近い感じがする。
 最近特に感じるのが、強行採決を許容する雰囲気と、国会での十分な審議といったものを期待しない雰囲気である。短期間に多くの法案を成立させる内閣を、仕事のできる内閣と評価する政治評論家すら存在し、世論の評価も遠からずである。今回は世論が無関心な法律であったが、教育基本法など一定の支持のある法案改定の場合、強行採決は実行力の証明としてむしろポジティブに評価される傾向すらある。
 これは政治の問題だけではなく、社会全体の問題だ。企業でもトップのリーダーシップや早い決断、実行が評価され、社内での合意形成、ネゴシエーションは日本的で時間のムダと軽視される傾向が強くなっている。職場でこのような傾向に慣れ親しんだ我々は、自然と政治の世界でも審議や合意形成をムダと感じ、強引と言われるくらいの指導力を評価するようになっても不思議ではない。
 ここまでくると、民主主義なのかかなり微妙になってくる。一応、民主的な手続きにおいてリーダーを選んでいるうちは民主主義の範疇であるが、民主主義において民主主義を否定するリーダーを選んだナチスドイツの教訓がある。強いリーダーを望むのはいいが、そのリーダーが誤ったリードをした時の担保があることも考え、早い決断や合意形成の省略までもを賛美する態度は改めるべきである。