真面目にやれ!ヘタなネガティブキャンペーンをやる暇などない

 最近つくづく官邸及び自民党の広報戦略の稚拙さが目に余る。安倍政権はとにかく高級官僚に甘いのである。まさに保守の王道から生まれた政権の宿命なのだろうが、この軸を死守している限りは世論は離れてゆくだけである。良くも悪くも小泉は巧妙で、高級官僚を敵と明示して自らの政権浮揚させた。

「下っ端が悪い」は世間の非常識

 自民党の中川幹事長は参院選に「公務員制度改革」「社会保険庁改革」「教員免許更新制の導入」の3本の矢で民主党を攻めて参院選の勝利を手中に収める戦略であった。改革によって国民の支持と労組潰しという二兎を得られるというのは自民党国鉄改革と郵政民営化で得た成功体験であり、この成功体験の踏襲を考えているのであろう。
 しかし「下っ端の公務員がダメでトップは問題ない」みたいな論理が世間的に通用するのであろうか?実は70年代ぐらいまでの労働紛争華やかしき時代は、労組が暴れて手につかない企業のトップへの同情の声みたいなものが残っていたのであるが、労使協調が定着した80年代以降はそのような考えは絶滅し、下っ端のダメさを改革できない温存したトップは「無能」「無責任」として徹底的に糾弾され、即刻クビになるのが常識である。下っ端に責任を取らせて事を済まそうという発想は起こり得ない。少なくとも40代以下の世代は常識である。
 郵政民営化の時は、郵政全体がターゲットであった。郵政官僚、特定郵便局、労組すべてが潰しの対象で、自民党自ら支持組織を切るところがある種の共感を呼んだ要因がある。しかし、社会保険庁の問題では歴代の大臣や幹部職員の責任を表面的には認めながら、何ら責任の所在を明らかにしようとしない。この問題は社会保険庁の末端職員=官公労が悪い、歴代大臣の中で菅直人が悪いと*1言うのでは、官邸や自民党自らこの問題にまじめに応えようとしていないという印象を与え、自ら「政争の具」に陥れる状況を招いていると言っていい。

責任の所在を明確に

 諸問題の総括の原則は、責任の所在の明確化と再発防止策の構築と徹底である。「責任の所在の明確化」を行うことを個人攻撃だとか言って嫌悪する風潮が政界や一部マスコミに存在するのが、これは甘えでしかない。マスコミや世論に個人攻撃でフラストレーションを解消する風潮があり、それに対する嫌悪感からそのような意見が正当化されてしまう背景もあるのだが、本来「官」の世界も信賞必罰でなければならない。
 元々は政策の責任は政治家が取り、政治家が決めた政策を執行するだけの官僚には責任はないという考えがあった。しかし日本の政治は政策も官僚が策定する訳で、官僚が責任を問われないということへの納得性は低いのである。しかも最近は政治家ですら責任を回避するようになった。誰も責任を取らない政策への国民のコミットメントが低下するのはむしろ当然である。
 直近では元社会保険庁長官であった正木馨氏の責任を問うものが週刊誌から出ている。id:kibashiri:20070601
誰かをバッシングしたいマスコミが玩具にしていると言い放つのか簡単だが、誰も責任を取らない無責任な政治に対する憤りが国民世論の中にあることだけは政府は認識すべきであろう。

真面目にやれ

 安倍応援団の山本一太がこんなこと言っている。
「安倍首相に奇策は似合わない。 農水大臣の不慮の死についても、年金の支給漏れの問題についても、率直に責任を認め、真摯に説明し、真面目に必要な対応策を打ち出していく。それが安倍流だと思う。」
http://blog.so-net.ne.jp/ichita/2007-05-31-2
 彼の意見はごもっともなのだが、実際に自民党がやっていることは奇策・ペテンである。ついでに言えば、責任を認めるだけでなく、自ら明らかにして行く態度が必要であろう。