教師を尊敬しない雰囲気を醸成した「保守主義者」の責任は重い。

 別に日教組を批判するのは構わない。歴史的に見れば、戦後教育の問題の一旦を担ってきたのは確かだ。ただ直近起きている教育の諸問題は組織率30%以下になった日教組のせいにするのがムリがあり、もっと冷静な問題判断が必要だ。
 ところが、どういう訳か、弱体化した組織をムリに巨悪化してシャドーボクシングを繰り返す勢力が少なくない。典型的なのが古い右派だ。彼らは日教組が強大な力を持っていた時代のイメージを未だに引きずっており、教育問題となると反射的に日教組のせいにすればいいという習慣から抜けきれない。また最近右傾化した若者が、こういう古い右派の書いた本を受け売りする。
 未だに教員=ほとんどが日教組だと思っている人たちは、自然と教師批判をはじめる。彼らの頭の中では、教師を叩くこと=サヨクを叩くことなのである。そして、教師にいい思い出のない暗い青春時代をおくった人たちが教師バッシングに付和雷同する。
 また教育基本法改正を始めとする教育改革を実行するためには、「今の教育が良くない!」ということを強調することが有益だ。昔の保守主義者であれば、現状がよくない→改革が必要だ! といったチープなロジックには首を傾げるはずなのだが、どうも教育改革賛美ありきでチープなロジックに寛容になってしまう。
 そして誰も「師を敬え」という大事なことを言わなくなってしまった。師を敬うというのは日本の伝統的価値感を重視する保守主義者であれば、当然なことであるにもかかわらず、日本の良心であった彼らまでもが教師バッシングの片棒を担いでしまった。今問題になっているモンスターペアレントなども、教師バッシングが横行し教師を尊敬しなくなった社会が招いた弊害であろう。