財界の二重苦

 財界にとって非常に嫌な政治状況になってきた。一つは自民党の敗北濃厚な参院選の状況だが、さらに深刻なのは自民党が財界寄りの政策そっちのけで有権者受けするリップサービスに走ったことである。
 ホワイトカラーエグゼンプションも視野に、極めて財界寄りネオリベ的な労働政策を邁進してきた安倍政権であるが、もはや国民受けを優先せざるを得ない状況である。

 財界は反発しているが、自民党がこんな状況では厳しいことも言えないのが現状であろう。

 考えてみれば、財界にとっては3年前の参議院選挙の頃の政治状況がもっとも好都合ではなかったのか?自民党民主党がお互いにどちらが改革政党かを争うネオリベ合戦を展開していた。財界はどの政党が勝つかは問題ではなく、とにかく財界好みの政治状況が作られる仕組みがあったのである。当時、野党の民主党が率先して消費税アップをマニフェストに記載し、一部評論家から拍手喝采されたのが記憶に新しい。まさにネオリベ合戦に二大政党が巻き込まれていたのであった。
 宮沢内閣崩壊、細川内閣の誕生の黒幕は財界である。当時の財界はいつまでも農村を基盤、土建偏重の自民党に限界を感じ、都市型保守政党の誕生を望んでいたのである。財界とマスコミが改革信仰を流布し、国民の間にネオリベ信仰を蔓延させたのが1993年から2006年くらいまでの政治状況であった。結果的には、小泉時代に自民がネオリベ政党に変質して千秋楽となったのだが、財界は自民党が改革政党に変質したと過信し、また安倍を小泉改革の正統な後継者と過信す自民党支持一本に回帰し、改革競争を終わらせてしまった。結果的に国民が改革信仰の呪縛から解き放たれた。また安倍晋三が「古い自民党」の要素を多く持っていたことも財界の誤算であった。
 安倍政権では80年代前半以前の保守政治の神話が復活した。日本の保守政治では国民に不人気な政策を実行した政治家こそ真の実力者として評価される。個人的人気で高支持率を獲得した首相が、多少の支持率減を覚悟して国民受けの悪い政策を実行するのである。これによって、財界の信頼が絶大なものになり、後世まで影響力を保持できる。中曽根氏、竹下氏がこの例だ。安倍内閣の昨年までは、高い支持率を背景に、国民受けの悪い「労働ビッグバン」を敢行して財界からの強い支持を確かなものにするはずであった。しかし、自民党の支持率が低下した状況では、財界の主張を実現する余裕はなくなり、国民受けする政策を連発しなければならなくなる。
 奥田-御手洗ラインの政治センスのなさがもたらした結果かもしれないが、国民にとってはラッキーな状況下もしれない。自民党政権を安易に支持さえしなければ、労働者に厳しく財界に甘い政策が出にくくなるという単純な図式に回帰したことになるのであるから。