安倍内閣前半の異常な時代を忘れてはいけない。

 安倍総理が辞任した。いまとなれば政権末期の迷走ばかりが思い浮かぶが、最初の半年のマスコミや世論の体制翼賛姿勢は脅威であった。そんなこともう忘れている人も多いのか。
 やらせのタウンミーティングで世論を捏造して成立させた改正教育基本法。こんな許せない暴挙にも多くの世論やマスコミは無批判で、現代の諸問題のすべてが教育に起因し教育を変えればよくなるという単純なロジックや、戦後民主主義教育は悪だから変えなければならないという意見に世論の支持が集まった。今でも教育基本法の改正を安倍内閣の成果として挙げる人が多い。
 私に言わせれば、こんなのは悪行であり、成果でも何でもない。百歩譲って成果を認めたとしても、血税を注ぎ込み世論を捏造するような行為は民主主語の死であり、この時点でこの内閣にレッドカードを出すべきものである。私には無批判な世論が脅威であった。
 次に脅威であったのは柳沢前厚労相の「産む機械」発言があった時である。当然この発言に批判が集中したのであるが、やがて柳沢大臣を批判する野党やマスコミが「揚げ足取り」「言葉狩り」と批判され、ブログ界では野党批判・マスコミ批判の方が優勢になってしまった。この時、私はブログ=体制迎合ツールという嫌悪感を抱かずにいられなかった。
 私が雨が降ろうが槍が降ろうが政権を支持する空気が蔓延する風潮に嫌気を指している暇もなく、あっという間に空気が変わってしまった。今となっては嫌悪感を抱いていた過去は遠ざかり、この急激な空気の変化の不可思議の方が気になるが、この嫌悪感がいつでも再現する可能性があることは常に肝に銘じておきたい。