鳩山発言に見る−気になる死刑存続論のコミットメントの低さ−

 決して鳩山法相が死刑存続論者の代表的意見ではないとは思うが、死刑存続論としてのコミットメントの低さが気になった。
 私はできれば死刑が廃止されることが望ましいと思うが、今の日本の現状に於いて死刑廃止論が支持されるとは思っていないし、自分の生きている間に廃止になればいいぐらいに考えている。
 「死刑廃止は世界の趨勢」と言った文句に頼るような死刑廃止運動は無力だ。昭和50年代ぐらいまでなら、西欧と同じことをしないといけない的な後進国的コンプレックスが日本にも残っていたが、今や「日本には日本のやり方がある。」という開き直りが通用する時代になっている中では世界の趨勢論は意味を成さない。ただ世界で死刑が廃止になったプロセスを見ると面白いことがわかる。世論の後押しで死刑廃止になったケースは余りないのである。あっても独裁政治による処刑の横行の直後で、国民が死刑に対して嫌悪感を示している場合*1や、イギリスにように冤罪処刑*2が発覚し、一時的に死刑廃止論が盛り上がった勢いで廃止したケースがある程度だ。
 死刑存続世論の方が強い中で、啓蒙主義的な政治家や人権意識の高い政治家によって世論を押し切って廃止が決断されたケース*3も多い。
 実はひょんなことで死刑制度が廃止されているのである。死刑存続論者が本当に存続を望んでいるのであれば、廃止に至らぬように不断な努力が必要な程、死刑廃止のポテンシャルは高い*4のである。
 現状で最も危惧されるのが冤罪処刑だ。世論というのは宛にならない、一時的な出来事で一夜にして流れが変わる。死刑判決の件数が増えるほど、当然冤罪リスクは高まる。また死刑判決が出るような裁判はよほど慎重に行われなければならず、弁護人の役割が当然重要なのだが、アホな世論は死刑になりそうな凶悪犯罪者を弁護するという行為そのものに嫌悪感を示し、弁護士を平然と批判する。このような環境では冤罪死刑のリスクは相対的に高まる。
 今回の鳩山法相の発言にも、死刑制度を維持するために不断の努力を行うという姿勢が微塵も見られない。決して間違いが許されない死刑制度であるが故に、判決と執行という二つの扉を用意してリスクを分散しているのである。私には鳩山邦夫は死刑存続論者でなく、広い意味での死刑廃止論者にさえ見えてならない。

*1:最近ではルワンダのケース

*2:エヴァンス事件

*3:ミッテラン時代のフランス等

*4:死刑廃止論に立てば決して高いとも言えないが…