沖縄戦教科書記述問題

当初この問題は沖縄県でもそれ程大騒ぎはされていなかった。流れを変えたのは民主党川内博史議員が、教科書調査官の村瀬信一氏が「つくる会」教科書の監修者で日本近代史の権威とされる 伊藤隆氏の門下生であることを指摘した国会質疑であったと思う。この問題はまだ真相が明らかになっていないが、教科書調査官の人選段階に於いてかなり政治的思惑が働いているという疑念を持たれて仕方ない事実である。
この問題については以下のブログが詳しい。

 今日読売新聞が沈黙をやぶって、文部科学省よりの見解を出した。

  • 沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入(10/3読売社説

「史実に基づいて執筆されるべき歴史教科書の内容が、「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。」という一文だけ読めばしごくごもっともにも聞こえる。
ただ、沖縄県民は軍の命令のあるなしを問題視している訳ではない。これだけ怒っているのは、旧軍を貶めることを忌み、その為に最初から歴史教科書を変えようという意思を持った特定勢力が密室で文部科学省内に影響力を行使して、歴史の内容を現実に変えたことにある。その時点で教科書検定の中立性に疑問符が付けられている訳で、沖縄での集会やそれ以降の政治的動きを指摘して「政治的思惑に左右されてはならない」と主張しても今さらジローなのだ。最初から政治的思惑に左右されているのだから。
確かに数の力で教科書の記述を戻すというのは正攻法ではなく、批判される余地はある。しかし、教科書検定そのものが既に邪道な訳で、それを糾す為に沖縄県民だけに正攻法を使えというのはアンフェアだ。今回は結論は一旦保留して、教科書検定をやり直すという形でリセットすべきであろう。
また沖縄県民に理解を示す立場を取るマスコミの記述にも、いささか疑問がある。少し記述内容の問題に傾斜し過ぎである。「軍に命令はあった。」という文脈に捕われると、見直し派に末梢論に持ち込まれて墓穴を掘る。見直し派は目論見は少しでも旧軍が非人道的で蛮行を行ったという印象を薄めたいというのもので、その為に「軍が命令を出した証拠がない」という常套手段のロジックで煙に巻きたいのである。
本来なら、文部科学省教科書検定制度、特に教科書調査官の人選の問題をもっと問題視すべきである。この問題の核心はこちらなのだ。本来、議論が分かれる問題であるにも係らず、結論が出る前に「これが史実だ」と断定し、それを事実上国の見解にしてしまっているのである。