良いナショナリズム・悪いナショナリズム

 私はナショナリズム不信からアンチナショナリズムに傾斜したこともあったが、やはりネーション抜きに人は生きられないと思い、愛国心の必要性について意識するようになった。ただ、その中でベタないい方だが、良い愛国心と悪い愛国心を明確に区別するようになった。
 良い愛国心の条件の一つは、愛国心の価値を絶対的に認めなければならないということである。自分の或いは自国・自民族の愛国心は良くて、他民族の愛国心に嫌悪感を示すというのは、単なる自己中心主義であって、悪しき愛国心の典型である。
 もう一つはすべてを受け入れた上での愛国心であること。どの国、どの民族にも汚点や屈辱的な歴史があるものである。それらもすべて美化・歪曲化せず受け入れているということである。
 残念ながら今の日本のナショナリズムは洗練されるとは言えない。悪しきナショナリズムを妄信して猛進している人とアンチナショナリスト*1が不毛な論争をし、ちっともナショナリズムを洗練させる方向にベクトルが進まないのである。
 私は基本的にネットレベルの愛国心はほとんど悪い愛国心だと思っており、認めていない*2。日本のもそうだが、最近の中国人や韓国人のナショナリズムも醜いと思っている。日本の嫌韓厨、嫌中厨と中国・韓国のネチズンの争いは所詮醜いナショナリズムの露呈合戦で、お互いに国恥を露呈し合っているだけで犬も喰わない。
 私はよくアンチナショナリストだと言われるが、そういう訳で最近のナショナリズムを蔑んでいるだけであって、愛国心を軽視している訳ではない。個人的にはアイルランドナショナリズムは洗練されていて好きだ。実は沖縄のナショナリズムも、一筋縄でない部分が多分にあるが、結構好きだ。好きというより、日本のナショナリズムが回復できていない純粋性を保持していて、羨望の感を抱くのである。教科書問題で私が本土の人間なのに心情的に沖縄に肩入れしたくなるのも、この辺が理由であったりする。その辺のことはまた別の機会に触れたい。

*1:日本の左翼の多くがナショナリズムを克服すべきもの、或いは敵視しているところが左翼の限界であったりする。

*2:ネットは愛国心を劣化させるツールとして相応しく、洗練するツールとして不向きである。愛国心を洗練させるのに向いているのは文学や芸術であると思う。