ネオリベからの開放未だ途上

 新自由主義の呪縛からの開放戦線に私も加わってずいぶん経つ。私が何かするでもなく時代の流れである程度多くの人が呪縛から開放されてきたと思うが、まだ途上だ。
 国民総新自由主義者のような錯覚に魘された郵政選挙から今日まで見ると、新自由主義から離脱した大きな勢力が二つある。
 一つはいわゆる伝統重視派保守である。日本では中曽根政権が新自由主義に傾斜して以来、保守主義者が自然に新自由主義に取り込まれ傾斜し、なんとなく共存関係にあったが、ホリエモン村上ファンドの問題で価値観の対立が決定的になった。
 構造改革。自由化によって生まれた寵児がなんとも下品なこと。日本の伝統を重視する保守主義者は、新自由主義が日本の伝統を破壊することに気付いてしまった。新自由主義が日本の伝統的価値観と矛盾していることくらいよく考えればわかりそうなものだが、なぜかこの矛盾に気付く人が少なく、20年間も蜜月関係を続けてきたのだから恐ろしい。
 ブログ界でも、反新自由主義保守系ブログというものも一定の勢力になっている。
 もう一つは都市部の比較的リベラルな中所得層だ。彼らの多くは元々反自民色が強く、野党を支持する傾向があった。自民党と結びつく商工者や農業関係への反発から規制緩和を支持し、90年代以降新進党民主党を支持していた人が多い。なんとなく「規制緩和」や「小さな政府」という言葉をポジティブに捉えて、新自由主義の本質を理解せぬまま無批判に受け入れていた層である。
 これらの層は新自由主義が庶民の味方でも何でもないことをやっと理解し、呪縛から開放された。
 ただ新自由主義支持は根強い。企業経営者がや都市部のエリートビジネスマン層は新自由主義を信奉するのは止むを得ないと考えてしまっては負けだ。