現総理も前総理も「KY」なのが問題ではない。

 安倍前総理の政権末期、よく総理はKYだという言葉をよく耳にした。福田総理も最近はKYだと言われているようだ。しかし政治家にとってKYが特に重要なことだとは私は考えていない。
 世論の空気を読んで政治を行う時点で、既に守りの政治である。マーケティングにも同じことが言えるが、世論の一歩先を読んで「空気を創って」、始めて攻めの政治ができる。
 その意味では、小泉元総理は政権末期を除いて空気を創ることに成功していた。私は小泉政治が創る空気に対して概ね批判的な立場を取っていたが、空気を作れなければ意味がないと思っている点で小泉の手法だけは正しいと思う。
 安倍総理も前半は空気を創ることに成功したように見えるが、安倍政治は自分の信念を押し付けし過ぎて、決して世論を先読みしていた訳ではない。創った空気が地面から遊離してしまい、長妻昭あたりが創った空気に掻き消されてしまった。小泉純一郎はよく「信念の人だ」と言われるが、決してそうではない。あの人は靖国神社参拝がライフワークであった訳ではなく、靖国参拝により支持を得られるという空気を察して公約して参拝したに過ぎない。。安倍総理やその取り巻き連中が、信念に基づいた「ブレない政治」が支持されると矮小解釈してしまった。
 福田総理はどうかというと、空気を創ることをほとんどしなくなり、ひたすら空気を嗅ぎ回る守りの政治をしている。このような政治だと、最悪の事態を回避することは可能かもしれないが、決して勝つことはできない。もっとも最後まで守り抜くという戦法なのかも知れないが…。