新自由主義と陸続きにあった80年代都市リベラル

 私は中高生時代に左翼教師の洗礼を受けて、左翼的思想に染まり、90年前半20歳前後で新自由主義の洗礼を浴び、2003年頃から新自由主義に疑問を持つようになった。
 ただ、どうも私が中高生時代に浴びたものは、左翼思想でないのではないかという疑問が最近沸いてきた。私が影響を受けた現代社会の左翼教師は、毎回朝日ジャーナルからネタを引用し、今日的な問題と政治的背景を私たちに語ってくれた。まあいかにも左翼なのだが、授業の内容を思い出すとこんな感じであった。自民党はわざと一票の格差をつけ農村部の選挙区を増やし、我々が納めた税金を農家にばら撒いて選挙基盤を構築しているので一党独裁が続いている。ガソリン代の半分は税金で、これを元手に誰もいない山奥まで道路網を整備し、土建屋を儲けさせている。その土建屋が政治献金したり選挙運動するので自民党は強い。都市部では大型小売店を保護して、商店街を守っている。都市部では商店街が自民党の応援の中核になっている。街の商店に商品が届くまでに問屋がいくつも介在して、我々は高いモノを買わされている。等々。
 私も子供だったので、こんな洗脳教育で、当時は農家と土建屋と商店街を敵視するようになっていた。
 ただ今考えれば、この思想は左翼思想なのであろうか?これまで私が新自由主義に染まることを転向と考えていたが、実は何の障壁もなかった。私が受け洗脳教育は新自由主義に移行するのに十分な素養であった。
 私が左翼教育だと思っていた内容は、むしろ80年代都市リベラル派にみられた言説とパラレルで、左翼新聞と言われる朝日新聞の論調もこんな感じだったと思う。そして80年代都市リベラルというのは左翼とみられることが多いが、実は新自由主義を受け入れる素地になった面も否めない。
 当時自民党政治に違和感を持っている都市リベラル層の多くが社会党に投票していたが、選択肢がなかっただけで本当に左翼だったかかなり疑問である。その後、多くの人が新しく誕生した非自民の新自由主義政党の支持者に移行していったのは何も不思議なことではない。
 私が影響を受けた左翼教師は安保世代だが、どうも猪瀬直樹とダブってしまう。彼も元左翼だが、今は念仏みたいに改革を叫ぶ改革バカになってしまった。ただ意外と転向ではないような気がする。この時代の価値観としては一貫性があるのかも知れない。
 もっとも新自由主義が生まれたアメリカでも、元々東海岸のリベラル層から生まれた思想であった。

 私がこんなことを急に考えたのは、「左派ブロガーの極端な改革アレルギー」id:kechack:20080128 を書いていた時だ。このエントリーで念頭に置いたのが『世に倦む日日』という著名な左派ブログのエントリーである。
 このブログは反小泉言論をリードしていたので一目を置き、RSSにも入れていて読んでいたのだが、最近のエントリーに強い違和感を覚えるようになった。やはり、きちんとしたマルクス主義社会民主主義に基盤を置く人と、左翼だか新自由主義かわからない、昔の都市リベラル言説の影響を抜けない私には超えられない価値観の壁があると思ったのである。
 もう一つ違和感を感じている左派ブログに『きまぐれな日々』がある。ちょうど

 というエントリーが載っている。逆にこのエントリーは非常に理解できる。だいたい、朝日系というのは真の左翼でなくて、80年代都市リベラルの系譜で、新自由主義と親和性がある。ガチンコの左派はあまり朝日系メディアに期待しないほうがいいと思う。