貧困問題の最終解決

 朝生のネタに戻る。もやいの湯浅誠氏が「我々はいつまで我慢すればいいのか」と言った一言が非常に印象的であった。自民党の世耕議員は「スキルがなければダメだ」と言い放った。それは間違いではないが、政治家としては無責任である。
 世耕議員はサッチャー主義を信奉しているようだが、確かにサッチャー政権は弱者に厳しい上にスキルのない国民を自己責任として放置した。それでは却って国益にならないとスキルを得るチャンスに恵まれなかった国民に職業訓練のチャンスを与えようとしたのがブレア政権であった。
 世の中には誰でもできる仕事が沢山あり、とにかく誰でもいいから低賃金で雇いたいと言う産業界のニーズがある。そのニーズに呼応するためにはスキルを得る機会を持たなかった人間を犠牲者としてその需要に当てはめるのは実に好都合だ。しかし、一見人件費を抑えられるために企業収益に貢献するようにも見えるが、これではいつまでたっても国が豊かにならない。
 新自由主義者は「国民の甘え」をさんざん糾弾するのに、企業の甘えについては不問である。「とにかく安い労働力が欲しい」という企業のニースは企業の甘え以外の何者でもない。基本的に安い人件費が前提でしか成り立たない産業は日本から退場してもらった方がいい。最近、大手スーパーや外食チェーンが大規模な店舗閉鎖を決めているが、長い目で見れば悪いことではない。
 安い人件費が前提のビジネスなんて先が知れてる。そこに設備投資するくらいなら、もっと付加価値の高いビジネスに投資を向けるべきだ。とにかく小泉構造改革の最大の失敗は、安い人件費が前提のサービス産業の規制緩和ばかりやって、付加価値の高い産業の育成を怠ったことにある。
 日本は元々単純労働の賃金が高かったために、サービス業の発達が抑制された。例えば日本では相当なお金持ちでもメイドを雇ったりしない。メイドという単純労働でさえも賃金が高いため雇えないのである。でも、メイドという低付加価値雇用がここで1つ撲滅できたことに意味がある。部屋の掃除や洗濯は自分でやって、メイドはもっと勉強してもっと付加価値の高い仕事につけば国益になる。
 付加価値の高い産業の育成と、国民のスキルアップはパラレルでなければならない。そうでなければ人材のミスマッチで成果は得られない。私は小泉の「米百俵演説」に感動して期待したが、あの人は結局何もやらなかった。教育には金を惜しんではいけない、高校の授業料や給食費でつまらないモラル批判をしているブロガーも多いが、あんな矮小な議論をしている人間はバカだ。日本が豊かになるためには、中卒や高校中退は少なければ少ないほどいい。貧乏で高校に行けないという状況は根絶せねばならない。
 「低付加価値労働を徹底的に撲滅する」というのが私の持論だが、いくつか未解決のいくつかの問題がある。1つは低付加価値ビジネスが存在しないと、それは個人が内製化して解決しないといけない。そこで女性の社会進出を抑制する危険性があるという点である。スキルの高い女性が家事労働に呪縛されることによって多くの付加価値が喪失する危険性がある。
 もう1つは交通である。私の理論では運転士という低付加価値労働を撲滅し、内製化つまりマイカーで移動しろとういう話になるが、そこで別の非効率が発生するし、環境ロスも大きい。
 女性を解放するための保育、介護、或いは交通労働など、いくつかの低付加価値労働については付加価値以上の労働評価を与えて一定の厚遇をしないと解決できないという問題にぶつかっている。