中国の強さと弱さ

中国の強さと弱さはつまるところ人口が多いというところに行き着く。
 人口が多い国の所得水準が一定レベルに達すると、蜜の如く各国の企業が市場開拓のための投資を始める。中国の開放政策はまさにこの動きに符合したものである。各国は自国の企業の中国進出が有利になるよう中国に対して積極的な外交を行う。このような場面では圧倒的に中国有利の外交展開となり、各国のナショナリスト人権派*1は「弱腰外交」等と非難するが、企業から政治家に献金が流れている以上、「企業の論理」が外交を支配し、自国と中国の関係を常に良好なものにする力学が働く。外交官は銭金にならないナショナリスト人権派より、企業の論理を背景とした力学に符合する。各国がとにかく媚びてくれるというのは人口大国の特権だ。
 現在、中国産農産物や食品への日本への輸出が急減し、「中国ざま〜みろ!」と思っている人も多いと思うが、実は中国にとっては痛くも痒くもない。たかが人口1億2000万人の日本市場を失っても、人口13億の中国でいくらでも代わりの売り先を見つけることができる。実は打撃を受けているのは日本の商社だけなのだ。
 ただ、一見強みに見える部分は弱さの裏返しでもある。中国の製造業の品質や安全性が一向に上がらないのは、巨大な国内市場があることが甘えになっているのである。設備投資をして品質にうるさい外国向けの製品を作るより、国内向けに粗悪品を作った方が儲かるので、改善ベクトルが働かないのである。
 日本は資源もなく、昔は国内市場も小さかったので、とにかく外国にモノを買ってもらわなければならなかったので、とにかく品質改善に血眼になった。そのようなモチベーションが中国では働かないのである。だから中国で生産されている外国メーカーの商品が世界で流通することがあっても、中国の民族メーカーはなかなか育たないのである。
 中国の問題をなにかと民族性の問題にしようとする人がいるが、多くの場合は人口が多いが所以に起因するものである。アメリカの製造業がダメというのも原因は似ていて、自国の人口が多いので、マーケティングが自国中心になり、自国民が満足すればそれ以上の努力をしなくなるのである。それに中国はまだ発展途上で、安全や環境への意識が低いのは当然。日本だって、高度経済成長期は安全や環境への意識は今に比べてはるかに低く、行政も経済成長を優先して、様々な規制を設けることを平気でサボタージュしたものだった。中国人の安全や環境の意識が高まるまで、あと20年はかかると見たほうがいいであろう

*1:日本では人権という価値観を敵視するナショナリストが多いので、ナショナリスト人権派を同列に扱うことには違和感があるであろうが、アメリカのナショナリストは人権を重視するので別におかしくはない。