死刑廃止問題に見る「強いリベラル」の可能性〜やわな日本のリベラル〜 

 宮崎勤死刑囚の死刑が執行された。最近の厳罰を歓迎する風潮の中で拍手喝采する意見を見るとどうも虫唾が沸くのであるが、お決まりの批判だけして死刑廃止への行動を起こさない死刑廃止派にもイライラする。
 日本のリベラル勢力のやわさがどうも気になる。日本のリベラル勢力は、国民の意見に従う政治家をいい政治家だと頭から信じて動けないでいる気がする。本当にそうであろうか?
 いわゆるリベラル派と呼ばれる政治家もボトムアップ・合議を重視し過ぎるきらいがある。自分の意見をはっきり主張し、周りの意見に流されずに即断する政治家はいわゆる保守政治家に多いが、どうも最近はこういう政治家の方に人気が集まったりする。
 周りの意見を聞かない政治家をいい政治家だとは思わないが、ある程度信念を持っていて、多少世論と乖離しても自信の信念に基づいて、国民の多数決と異なる政治を行う政治家がいてもいいと思っている。ところが、そういう政治家は保守的な政治家ばかりで、いわゆるリベラルな政治家はやわな政治家が多く、すぐに世論を気にしてしまい、世論の受けが悪い政策には腰が引けてしまう。
 死刑廃止の問題だって、国民の8割が死刑存続を望んでいようが「そんなの関係ない」ぐらいの勢いで、自分の信念で死刑廃止を公約するリーダーが顕れてもいいはずだ。だいたい世界で死刑が廃止になった状況を見ると、国民世論が死刑廃止に傾いて廃止になったケースの方が少ない。国民が死刑存続を望んでいるにもかかわらず、為政者の信念で廃止されたケースは珍しくない。ミッテラン政権下のフランスがよく知られるケースだ。
 いわゆるリベラル派の人たちもやわなところがあって、世論が圧倒的に死刑存続を望んでいるという結果が出ると、すぐに「死刑廃止は無理だ」と決め込んでしまう。リベラル派はもっと保守派の強かさを学ぶべきである。
 日本の保守勢力は、長らく「国民はバカでその多数決意見なんて価値がない」と最初から達観していて、国民世論で不人気な政策であろうが、いろいろな手段を使って実現しようとする。例えば、国民受けする政策を一つか二つ看板にして、国民に不人気な政策も適当に公約に混ぜる。選挙で勝ってしまえば「この政策は信認された」と言い張ればいいのである。
 ミッテランは雇用問題や社会保障を前面に掲げ、死刑廃止はあまり前面に出さなかった。有権者は前者の政策に期待し、死刑存続論者もミッテランに投票した。選挙後ミッテランは「死刑廃止は信任された」と主張した。まあ詐欺みたいだが、政治なんてこんなものである。日本でも保守政治家はこのくらいのテクニックは多用する。日本のリベラル派が糞まじめでナイーブ過ぎてマキャベリストになれないのである。