規制緩和の嘘 規制緩和はむしろ大きな政府を生む インチキ改革論者に注意

 私は規制緩和と小さな政府をイコールで考えているような意見に以前から疑問を持っている。特に労働規制の緩和は単なる企業エゴの産物で、むしろ大きな政府を必要とする。
 以下の文章を読むと、なぜ労働分野の規制緩和大きな政府を招くかわかると思う。財政負担が大きくなっても規制緩和した方がいいというのであれば、それは一つの選択肢ではあるが、私にはその選択は理解できない。

正規と非正規の格差是正が本筋

 今年の「労働経済白書」(7月22日発表)は非正規雇用や格差問題というタイムリーなテーマについて分析したため、新聞などのマスメディアは一斉に取り上げた。
 論調は大体同じで、「仕事の満足度が低下」「生産性が低下」した点を取り上げ、これらは成果主義の導入や非正規雇用の増大がもたらした結果であり、終身雇用や年功序列といった「日本型雇用」の再評価に結び付けている。労働市場の行き過ぎた規制緩和に歯止めをかけようという、一種の揺り戻し現象と言ってもいい。
 ここで、「日本型雇用」について、おさらいしてみたい。私のような団塊の世代にとって、終身雇用と年功序列の世界は経験済みだから、手に取るように理解できる。
 一度、ある会社に入ったら、原則として定年前後まで辞めない。一つの会社の中で営業、総務、企画など、さまざまな部署を体験して、その会社のプロになる。よその会社には通用しないから、転職もない。
 若いころの給料は安いが、妻子を何とか養える分ぐらいはもらい、それも年々上がり続けるため、住宅ローンや出産計画などは立てやすい。
 少なくとも、同期入社の給料の差はあまりなく、長年の勤務で評価された者は役員に昇格し、昇格しなかった者は退職金をもらい、年金年齢になるまで関連会社に“天下り”する。この辺が、大方の大企業のサラリーマン像だった。
 こうした人生は会社と運命をともにするため、会社のためなら悪事も辞さない大量の「会社人間」を生んだ。また、男性サラリーマンにそこそこ給料を出す代わりに、女性は専業主婦として家庭に押し込められ、夫は長期転勤にも単身赴任にも従うしかなかった。
 これらが「日本型雇用」の実像だ。
 今思えば、「雇用が安定していた」「給料が確実に上がった」と美点ばかりが目立つのだろう。まさか、「社畜」という差別用語まがいの批判が飛び交い、「女性差別」が当たり前だった当時の労働慣行が見直されようとは夢にも思わなかった。

終身雇用も「一時代の産物」

 現在の労働市場の欠陥を是正するという意味での見直しなら、意味がないこともない。しかし、昔のような「日本型雇用」に戻そうというなら、それはもうできない相談だ。なぜなら、終身雇用や年功序列を支えてきた豊富な労働力や経済成長の持続が望めなくなったから。
 じつは、終身雇用や年功序列は、たかだか戦後の半世紀ぐらいに定着した労働慣行に過ぎず、決して「日本文化に根ざした制度」でも何でもない。日本の戦後復興と高度成長に都合が良かったから主流になっただけだ。
 今できる対策と言うなら、やはり正規雇用と非正規雇用の格差の壁を低くすることではないか。
 少なくとも、どちらの雇用形態で働いても、社会保障職業訓練などを公平に受けられる機会の平等は確保されなければならず、その責任主体は政府や自治体にある。これこそ、役所用語でいう「喫緊の課題」であろう。



本間氏は日本型雇用体系の再評価の動きを批判し、非正規雇用に対して一定の評価を与え、ただ正規雇用であっても非正規雇用であっても、社会保障職業訓練などを公平に受けられる機会の平等は確保されなければならないとしている。そしてその責任主体は政府や自治体にあるとしている。

国際関係の雑誌『Foreigne Affairs』 の3・4月号で取り上げられていたデンマークの労働政策に目がとまりました。
http://www.foreignaffairs.org/20080301faessay87207/robert-kuttner/the-copenhagen-consensus.html
Flexicurity = Flexible(柔軟性)とSecurity(安全保障)を併せ持った労働政策
「自由」と「平等」という通常相容れない概念を共存させることに成功した政策なんです。
競争率が世界第三位のデンマークでは、従業員の首を切る行為に規制がほとんどかかっていなく、生産過剰になり、社員が多くなりすぎたら、会社は比較的簡単に社員を解雇する風習があるそうです。
これだけを聞くと、え?!なんて、怖い社会なの?って思っちゃいますが、そうじゃないんです。
どんどん解雇されちゃうんですが、その後の手当てが厚くて、失業したら、給料の90%が最大4年間保証されて、再就職訓練を受けることができるんです。(というか、再訓練を受けないと給付金がストップされます。このあたりは厳しいです)
会社側は労働力の流動性を保つことができるので、人手不足の時は気軽に人を雇い、いらなくなったら解雇するという柔軟性で、経営効率を最大化し、会社の成長力をつけることができます。
労働者側は、手厚い保護があるので、失業が怖くないし、転職するたびにスキルアップできるし、みんなしょっちゅう解雇されるので、転職というものにネガティブイメージが全くなく、(国民の70%が転職はいいことだと思っている)
そんな気軽なものだから、なんと、デンマーク人の平均転職回数は6回、毎年3人に1人が転職しているんです。(にも関わらず、就業率は世界でもトップクラス)



 何れも、社会の活力を与え、労働者のモチベーションやレベルの維持・向上させる施策で、有効で有力な選択肢であると思います。
 しかし、これらは企業が担っていた人材教育、雇用維持といった社会的責任を減免し、政府が代替するものであります。これによって社会保障予算の増大が生じます。
 多くの人は、規制緩和と小さな政府はパラレルだと思っているかも知れませんが、労働法規の規制緩和は、企業の社会的責任を減免し、結果的にそれを政府が代替することによって結果的に大きな政府になります。
 構造改革論者は個人の自己責任を叫び、社会保障レベルを低下させ小さな政府にすることを是としますが、企業が社会的責任を果たすことによって政府の仕事を減らしてきた日本の労働慣行はむしろ批判します。企業の社会的責任を問わずに政府に代替させて、結果的に大きな政府になっても批判しません。これは「隠れた企業減税」とも言えます。
 私は構造改革論者の多くはインチキで、単に企業に甘く個人に厳しい政治を望むエゴイスト集団だと疑っています。私は、企業はある程度社員を長期雇用することを前提に、自ら人材育成を行うべきだと思います。それによって、政府の社会教育や失業保険の予算を増大させずに済みます。政府は黒子に徹するべきです。