なぜリベラルが未だに「小さな政府」を支持するのか?

昨日の中日新聞の社説は非常に面白かった。

 朝日新聞よりリベラルと言われる中日新聞でさえ「小さな政府」を是と考えているということがわかって、これは非常に面白い現象だと思った。もちろん朝日・毎日も「小さな政府」を是としている。むしろ最近では読売新聞が一番「大きな政府」的な主張をするような気もする。
 それについて:id:oguogu氏は「今こそ増税を」で、今こそ左派リベラルは増税を主張しろとの論を張っているが、日本で「高福祉高負担」をはっきり言う勢力が全く興隆しない現実もよく考えた方がいいと思う。
 私は「小さな政府/大きな政府」という二者択一は、小さな政府を支持する人たちの間でだけしっくりするロジックで、左派リベラルの人はこの二者択一をそもそも受け入れてないのではないか?「小さな政府/大きな政府」という二者択一が盛んに使われるようになる以前は予算を公共事業に使うのか社会保障に使うのが政治の重要テーマで、前者が保守、後者が革新というのが日本独特の政治構造であった。今でも左派リベラルの人はこの図式で物事を考えている。であるから、左派リベラルは公共事業や役所の無駄遣いを削減することには拍手喝采を送る。だが、それはそこで削った予算が社会福祉の充実に回るという皮算用がセットにあるからであろう。
 この皮算用には批判があるであろう。一つは、90年代に左派リベラル層の多くが「改革」を主張する政治勢力に親和的態度を示した。それは改革勢力の「公共事業や役所の無駄遣いを削減する」という主張に共感する余り、同じ勢力が社会福祉も削減し自己責任の社会を作り上げようと考えていたことを見抜けなかったという点である。
 ただ、「公共事業や役所の無駄遣いを削減する」という主張をしている人がすべて新自由主義者ではない。この辺で神経質になり過ぎて、ちょっとでも新自由主義的な政策に噛み付くのは過剰バックラッシュであろう。社会保障のためには財源が必要で、増税をしないのであればどこかを削らなければならない。財政再建派に言わせれば「無駄遣い削減で削れる予算と社会保障のために必要な予算では桁が違うということになるが、「公共事業や役所の無駄遣いを削減して、その予算を社会福祉に回す」という主張は時代遅れの55年体制的な主張に見えるが、強ち間違った理論ではない。
 また公共事業か社会福祉かという使い道議論はナンセンスで、すべての歳出を削減しないとこの国は持たないという議論が財政再建至上主義者からある。ただ一方で未だに公共事業予算の復活を期待している勢力があり(むしろ最近は動きが盛んになっている)、社会保障充実論者の55年体制的対立をむしろ延命させている面もある。