橋下イモ騒動の茶番劇。世論は何に嫌悪感を抱くのか?

 第二京阪道路用地の強制収用による保育園の畑の強制収用は、ずいぶん酷い茶番劇だが、ネタとしては非常に面白い。特に日本の国民感情ステレオタイプがこんなにも極端に顕れるケースは稀だからだ。
 ポイントは「園児の涙」に対する評価だ。園児のような弱者を政治的に利用するのは、かつてのサヨクの常套手段で、それに対して保守的な人が嫌悪感を抱くというのが80年代以前の典型的な国民世論の構造である。私も、80年代にうたごえ運動系の音楽祭に参加する機会があり、強制収用で立ち退かされるかわいそうな農民みたいな歌を歌わされて、拒絶感を味わったことがあるので、保守の嫌悪感も理解できる。
 日本の保守主義アメリカのそれと全く異質なもので、滅私貢公の色合いが強く。公共事業に反対して権利を主張する人に対して嫌悪感を抱く。またこれはアメリカの保守主義と共通するが、ゼロトレランス的な冷徹で強い権力へのシンパシーである。最近では千葉県の県立高校で冷徹な態度で入学料が払えなかった生徒の入学式参加を認めなかった官僚的な教育者に拍手喝采が集まったのが記憶に新しい。
 ところが90年代になると、サヨクから右翼に転向した人たちによって、サヨクの運動理論が保守運動に持ち込まれ、「お涙頂戴保守主義」が興隆する。これは北朝鮮の拉致家族の政治利用や、犯罪被害者を厳罰化運動に利用するなどの実績が見られる。
 基本的に私は運動主体がサヨクだろうがウヨクであろうが、弱者の涙の政治利用は嫌いである。しかし門真市の北巣本保育園にはシンパシーを抱くことはないがそれほど嫌悪感も生まれなかった。幹線道路なんて邪魔した方が生活環境は守れるのであるから、別にサヨクでなくても道路建設に反対するのが普通だろうし、私もここの住民であれば道路建設に反対するであろう。また小泉さんのお陰で、保守の人でも公共事業を敵視するのが是という空気ができて、今では、道路建設反対運動はイデオロギーフリーになっている。この件では、むしろ橋下知事の方が「弱者の涙の政治利用を嫌悪する保守的な世論」を政治利用しているような気がして、そちらに対する嫌悪感の方が上回った。
 橋下という人間は、非常に世論の空気を読むのが上手く、世論がどのような祭りを行うのか計算している。特にポリシーはなく、死刑推進の立場で犯罪被害者の涙を最大限利用するなどの行為も辞さない。この件では、「世論は保育園側に対して嫌悪感を示し、冷徹で官僚的な態度に徹した自分にフォローの風が吹くであろう」という計算があったのではないか。