したたかな保守はどこに行ったのか?

産経新聞の阿比留君がまた面白いことを言っている。

安倍晋三元首相が首相就任前、記者と雑談しているときなどによく言っていたこんな言葉だ。
 「左派勢力は、自分たちの思想をオブラートに包み隠して政府の審議会などに委員となって潜り込み、自分たちの考えを政策に反映させている。それに対し保守勢力は、正面から意見、主張をぶつけてはつぶされている。そこのところをよく考えないといけない」
中山氏は、「日教組は解体しなければいけない」などと発言したことを「失言」とされ、在任わずか5日間で大臣の職を去った。田母神氏は「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いはない」などと意見を表明し、政府見解(日本による植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」)と異なるとして更迭、定年退職させられた
前者は報道各社の就任インタビューに答えたもので、後者は民間の懸賞論文への応募論文だ。両者は意見表明の場も、それぞれが主張する内容も異なる。ただ、2人とも動機・心情は純粋でも、自分の言葉がどんな結果をもたらすのか、政治的にプラスなのかマイナスなのかを十分計算して発言したようには見えないのが残念だ。
2人が一私人の立場だったならそれでよかったろうが、大臣や空自トップとしてはどうか。保守派は、安倍氏が指摘するような左派勢力の「ずるさ」も学び、取り入れる必要があるのではないか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081116/stt0811160220000-n1.htm



 面白いことを言っているが、それにしても随分違和感がある話だ。
 私の中には「したたかな保守&教条主義的で融通の効かないサヨク」という二項対立がある。なにしろ戦後保守勢力は一環として権力に近寄り、小異を捨てて大同を取って実利を得てきた。それに比べてサヨクは、僅かな違いで対立し合いお互いの足を引っ張ることに余念がなかったのだから。
 時代が変わったのか?だが、安倍元総理や阿比留君が言うようなしたたかな左派って実在するのであろうか。私にはまったくイメージができない。可能性があるとすれば、いわゆる中道や穏健保守層に左派のレッテルを貼って、強かであると論じているのであろう。
 だいたい中道というのは、経済保守勢力と一致することが多く、彼らは日本の経済発展のために日中関係が良好であることを望み、女性の社会進出が経済にプラスであるからそれを推進しようとしているだけであって、何か確固たるイデオロギーのために動いている訳ではない、極右の立ち位置にいる人たちは、このような人も左派の陰謀と写るのであろう。このような立ち位置の人は学者や経済人、官僚の中に腐るほどおり、このようなった立場の人が戦後の保守勢力の中核を担っていた。
 つまり安倍元総理や阿比留君が言っている左派のずるさと、私がイメージしているしたたかな保守というのは同じものを指している可能性が高いのである。
 そもそもしたたかな人たちというのは極右にも極左にもなり得ない。その時々の風を読みながら身を委ねて実利を得なければならないからだ。安倍元総理や阿比留君が「ずるさ」を身に付けたかったら、日本にとって何のメリットもない歴史修正主義や、教育を見直せばすべての問題が解決するかのような単純なロジック等のヘンテコな右派イデオロギーをまず放棄すべきである。