麻生総理がおバカなのは不幸中の幸いである。

 90年代後半からずっと扇動保守の時代が続いた。政治家が過激な発言をし、それに拍手喝采する大衆がいて、それを失言だの妄言だのと批判するマスコミや野党の方がかえって世論から批判を浴びることが多々あった。
 扇動家は社会に鬱積している不満や対立構造を政治的に巧く利用し、自身の支持を高めるのに利用する。社会保障を削減する新自由主義的政策の支持を得るために、弱者保護政策を悪用したり、既得権益化している事例を探してプロパガンダを行なう。そうすると本当に社会保障が必要な人がいて困ったとしても、社会保障削減政策が拍手喝采される。
 未だに橋下知事が高い支持を集め拍手喝采されているところを見ると、扇動保守の時代はまだ続いているのであろう。しかし、麻生太郎は頭が悪すぎて扇動家になれないということがわかってきた。また扇動家には庶民目線が重要で、下流や中の下くらいの階層の仮想的になりそうな憎き既得権や特権階級を中の上くらいの階層の中からを見つけ出して対立構造を煽り、不満が上流の真の既得権者に向かわないように画策するのだが、彼は育ちが良すぎて、中流下流階層の人間の嫌らしい部分を知らない。
 彼の最近の失言である、「医者に社会的常識がない」発言や、「飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」発言も、彼が頭脳明晰な扇動家であれば、どういう人達が社会から嫌われているか、どういう人達を叩けば拍手喝采されるかという明確な計算を行い、例えマスコミや野党から叩かれようと大衆から拍手喝采あれるような言動に変えることができた。逆にマスコミや野党の方が世論から反発を受け、自らの支持率を増進できたはずである。彼の発言には、社会に鬱憤を抱いている人間だ飛びつくようなリップサービスが全くないのだ。
 日本の総理がバカなのは不幸なことではあるが、彼が扇動家になり得ないというのはある意味幸いである。