みんな都市と地方の対立を隠そうとする。

 現在起こっている政治の混乱はすべて都市と地方の利害対立に起因するのだが、その話題はみな避けようとする。麻生政権が失速しているのはこの乱気流に巻き込まれているからだ。
 自民党郵政選挙で圧勝したのは、地方で旧来型選挙をやりながら、都市部では改革政党を装って都市住民の支持を鷲づかみにしたからだ。その矛盾した民意を両取りしたツケに苦しんでいる。田舎は情報が流れるのが非常にトロく、郵政選挙の時に都市部で構造改革云々騒いでいても、地方選出議員は相変わらず旧来型選挙をしていたりして、それを誰も変だと思わななかったのだ。
 今地方で小泉改革のツケで疲弊したと騒いで、自民党の地方選出議員が慌てて地元にバラマキを始めているが、有権者は公共事業が減った、郵便局が潰れたと小泉改革への恨み節をつぶやくのである。逆に都市部では小泉改革で大勝しておきながら説明もなく路線変更してバラマキに奔走する自民党への不信感が高まっている。この敏感な都市部の民意と鈍感な地方の民意のタイムタグが自民党を大勝させる一方、大敗させる要因になりかねないのである。
 今は、公共事業即悪というような原理主義的な意見が絶滅しつつあり、エコノミストやの間でも経済政策として公共事業は必要だという意見が強まっているが、エコノミストの公共事業容認論は国際空港や都市部の道路、或いは成長産業活性化のための投資を対称にしていて、疲弊した地方の為に地方の公共事業は否定する。
 つまり多くのエコノミストの考える公共事業とは、強い部分をより強く、弱った部分は見捨ているという論理なのだ。全国紙やテレビ局などの中央マスコミの論調も然りである。
 小泉―安倍時代に多くのエコノミストや中央マスコミが新自由主義的な改革を支持し、政権にエールを送った。彼らは新自由主義の失敗をある程度認めて、公共事業も容認しているものの、所詮都市中心主義なのだ。富を地方に傾斜配分させる政治にはNoと言い、麻生政権への批判のトーンを高めるのである。