今起きていること―保守政治家に強さを期待するバブルの崩壊―

 90年代から日本の政治が右傾化しているという云々の言説には疑問を持っていた。ただ保守政治家に大衆的人気が集まる傾向があったのは確かだ。ただそれは必ずしもその政治家の主張・信念に対するシンパシーではない。最大の理由は保守政治家=強いリーダーシップを発揮するという神話があったからではないか。
 日本のリベラル派の政治家は合議プロセスを重視し、自分の意見を強く持たずに、世論を重視する傾向がある。そういったリベラル派の政治に対する失望は90年代後半に特に女性有権者の間で顕著に見られた。東京都の青島都知事から石原都知事への交替劇はその象徴とも言える。
 これは女性が右翼的なのではなく、女性は男性より強い政治を求めるからである。
 別に右翼思想に共感する訳ではないが、保守政治家の方が政治に対して強いリーダーシップを発揮するという神話は2000年代ほぼ定説化し、小泉自民党に2/3以上の議席を与えて、強い与党による強固な改革を支持することで、その頂点に達したと言っていい。
 しかし、これを頂点に保守神話の崩壊が起きた。まず強い保守政治家の象徴であった石原都知事が息子の問題や新銀行の問題で次々と醜態を晒し、安倍元総理が情けない辞め方をし、中山成彬も引退するしないで晩節を汚し、中川昭一は国際舞台で醜態を晒したうえに嘘の言い訳をしている。情けない保守政治家には麻生太郎現総理も加えなければならないであろう。
 今起きていることは、保守政治家に対する幻想の崩壊である。強いリーダーシップを期待していたノンポリ層は、既に保守政治家に期待しなくなっている。これは別に世の中が左傾化しているのではない。保守政治家に対する期待バブルの崩壊という現象である。
 右派ブロガーの多くは、90年代後半から保守政治家が支持される現象を、保守イデオロギーが支持されたと勘違いしているので、この現象を直視できないでいる。そして保守政治家の醜態さえも陰謀論を唱えて、本質を見ようとしないのである。
 もちろんリベラル派は、今世の中が左傾化していると勘違いしてはいけない。依然として強い政治家の強いリーダーシップに期待する民意は強い。特に女性の間で強いのは相変わらずだ。大阪の橋下知事の驚異的な支持率もその顕れである。意外に、これまで豪腕と嫌われていた小沢一郎に対して比較的好意的な意見が増えているのも同じ現象かも知れない。