「バラマキ」という言葉の呪縛から逃れない限り、まともな議論ができない

 我々はバラマキという言葉による思考停止から脱する必要がある。バラマキという言葉が使用されて久しいが、この言葉はそもそも新自由主義者が財政政策に対して負のレッテルを張るために多用された言葉である。新自由主義の神通力が失われ、財政政策を否定できない現状で、この言葉の呪縛に囚われて思考停止している人が未だに多くみられる。マスコミとて同様だ。
 そのためにも以下の二つのことを止めるべきである。

  • 財政政策すべてをバラマキと批判するのを止める

現在の経済情勢において財政政策が必要であるというコンセンサスは拡がりつつある。その中でようやくどのような景気刺激策が有効かという議論がなされるようになった。その中で、何が必要な財政政策で何が無駄な財政政策かという議論がようやく為されるようになった。
その中で無駄な財政政策に対して「バラマキ」と批判するケースが散見される。しかし、すべての財政政策を悪とする新自由主義者の使用する狭義の「バラマキ」と混乱し、議論が混乱しているケースが多々ある。
現状では財政政策否定論というのはあり得ないので、議論の選択肢から排除すべきである。財政政策の必要性を認めた上で、その規模、財源、内容の是非の議論から始めないと議論が始まらない。

  • 政党間のバラマキ批判合戦をやめる

   与野党とも、相手の財政政策を「バラマキ」と批判する。民主党は与党の定額給付金をバラマキと批判しているが、自民党民主党子ども手当や高校の授業料無償化、農家の戸別支援などをバラマキと批判している。
   お互いに一定の財政政策は必要だというスタート地点に立っているのだから、「バラマキ批判」という新自由主義優位時代のロジックからお互いに距離を置いて、どの財政支出が是で効果的かという各論から入るべきである。
   議論を見ていると、自民党がある程度の富裕層に恩恵を与えた方が景気刺激効果があると考えているのに対し、民主党公明党は経済的に苦しい層に恩恵を与えた方が景気刺激効果があると考えているようだ。もちろんお互いに支持基盤の票目当てという穿った見方もできるが。
   ネットでは「○○党の政策をバラマキと批判しながら、△△党の政策もバラマキではないか」という批判をよく散見する。確かにその通りで、安易に「バラマキ」という言葉で有権者を混乱させている政党や政治家が自滅している。ただそのような意見を言う人は、すべての財政政策を悪と考える新自由主義の呪縛の中に居る気がする。そのような呪縛もまた批判されるべきものである。