なぜ日本で自動車交通優位の交通政策が変わらないのか? 

 多くの人は、赤字という理由で鉄道やバス路線が次々と廃止される現実を疑問に抱かないであろう。事業者は慈善活動をしている訳ではないのだから、国や自治体が民間企業に赤字を強いるのはおかしいと言えばその通りだ。
 政治も道路建設には熱心だが、地方の公共交通機関の維持に関しては関心が薄い。
 そもそも道路と鉄道などの公共交通機関ではモノサシが違う。道路では費用対便益が基準となり、1.2以上ならGoサイン。1.0以上1.2未満の場合は必要に応じてGoサインが出る。一方鉄道はその事業の採算性がモノサシとなる。
 このモノサシはかなり幅が違い、費用対便益の基準の方が相当甘いということが余り理解されていない。高速道路の場合、費用対便益が相当高くないと黒字化は困難だし、鉄道では大赤字だとして廃止された路線の中には費用対便益が1以上あったものも少なくない。
 日本の交通政策は、道路に甘く、公共交通機関に厳しいのである。多くの政治家はこのことを知りながら敢えて問題にせず、中央マスコミはあいかわらず新自由主義的な報道スタンスで無駄な道路建設を批判すると同時に赤字の交通機関の廃止にも好意的。地方マスコミは地域ご都合主義で、この問題に切り込もうとしない。
 なぜ政治家が知たんぷりしているのか。別に政治家がモータリゼーションに迎合的という次元の話ではない。地元ゼネコンにもっとも喜ばれるのが道路工事だからである。鉄道工事は信号や電気設備などの予算比率が高く、地元ゼネコンが担える部分が少ないのであまり歓迎されない。だから政治家は鉄道より道路に熱心なのだ。
 更に赤字の鉄道やバス路線の維持にはもっと不熱心。そこに何の利権もないからである。であるから、政治家は費用対便益が1以上あるにもかかわらず廃止される公共交通には無関心な一方で、費用対便益が1未満の道路に「いのちの道」という偽善的な名称を付けて、必死にモノサシを歪めようとするのである。