「鳩山政権には成長戦略がない」と言われるが、「成長戦略」っていったい何なのか?

 最近「成長戦略」という言葉をよく耳にするようになった。特に鳩山政権を批判するロジックとして「成長戦略がない」というフレーズがお馴染みになった。自公政権時代に特に成長戦略があったと思えないし、こういった批判を余り聞かなかったのに、突飛な感じがした上に、「成長戦略」が具体的にどういうものを指すのかよくわからないので、12月1日のエントリーでは成長戦略を主張する人たちをよくわからないグループだという表現を使わせてもらった。

 その後に「鳩山政権には成長戦略がない」という批判意見をつぶさに読むと、識者により考える「成長戦略」イメージが大きく異なるのがわかってきた。
 一つは、政府が「これからの日本は○○で生きてゆく」という指針を出して、そこに重点的に予算を配分すべきだという意見で、多くの人が抱くイメージはこれではないか。
 評論家の三宅久之の意見もその類型だ。

 三宅氏に限らず、成長戦略がないまま事業仕分けをやるのは間違っているという批判は散見される。公明党の主張も同様である。
 
 読売新聞の社説も同様だ。「政府は、国内産業や地域が活性化できる新成長戦略を打ち出さねばならない。」と主張している。



 ところが「成長戦略」とは、政府がどの産業を伸ばすとかどういう話ではないと断言する人もいる。外資系金融機関勤務の藤沢数希氏は「今時先進国でお役人に新しい産業を作って欲しいなんて思っている人は誰もいませんし、またそんなことをしてもうまくいかないのは過去の実績が雄弁に物語っています。 そういうことをするのは民間の優秀な起業家であり投資家の仕事なのです。」と前者の考え方を真っ向から否定した上で、「成長戦略とは戦略的な規制緩和と税制改革のこと」

 構造改革を言い換えただけじゃないかと突っ込みたくなるが、構造改革という言葉が小泉-竹中批判の中で評判が悪くなったので、別の言葉に言い換える必用が出てきて「成長戦略」という言葉を使っていると考えていい。
 構造改革の具現者、竹中平蔵大先生の意見を見てもわかる。「法人税減税と規制緩和なき成長戦略は、ありえない」と断言している。

 池田信夫も成長戦略は労働ビックバンだと言っており、つまり「成長戦略」=「構造改革」というニュアンスだ。



 つまりやや社会主義的な日本型資本主義の延長で「成長戦略」という言葉を用いているのが、三宅久之公明党や読売新聞であり,新自由主義的な立場で「構造改革」という言葉の代替に「成長戦略」という言葉を使用しているのが、藤沢氏や竹中平蔵池田信夫なのである。
 野党自民党の議員も、与党批判のロジックとして「成長戦略がない」という言葉を使い始めているが、両者のニュアンスが混在し、よくわからないというのが実情だ。つまるところ、昔の自民党小泉時代自民党の双方ともに総括できていない自民党そのものの問題が民主党政権批判のロジックに染込んでしまっており、パンチが効いていないのである。
 私は、国が成長産業を創るような考えがナンセンスという意味では新自由主義者の意見を支持するが、企業が金を持っても投資する場所がない状況で、企業減税のような税制改革は無意味だし、池田信夫氏という労働生産性の低いサービス業の規制を緩和すればいいという意見は、賃金ダンピングデフレスパイラルを加速させるだけなので賛成できない。政府がやるべきことは、教育に注力する。ただそれだけではと思う次第である。