消費税アップありきの財政再建論は読まずに捨てろ

 新聞や雑誌のコラムで非常に多い財政再建論であるが、最近は読む気も起きないので無視するようにしている。いちおう結論に何が書いてあるかだけチェックすることもあるが、ほとんどが「今すぐ消費税アップの議論を始めるべきだ」というもの。ようは消費税アップという目的のために、いろいろ御託を並べて財政危機を喧伝している、どうでもいいようなプロパガンダが多い。
 私もどんどん国債を刷れとか言う考えはなく、財政赤字は少ないに越したことはないのだが、どうしてここまで財政再建至上主義者ばかり闊歩しているのか不思議でならない。むしろ外国人投資家の方がよほど日本の財政を冷静に分析している
 意外と普段は理路整然とした文章を書くエリートと言われている人たちが、財政問題になると手段を目的化したような論理破綻な文章を書いたり、「子や孫にツケを残すな」的な扇動に走ったりするのだ。

重商主義を評価しないで倹約家を評価する文化と教育。

 よく考えると、学校の日本史の授業では、徳川吉宗松平定信のように倹約に努め贅沢を戒め財政を立て直した為政者を評価し、徳川宗春田沼意次のように遊興や贅沢を奨励して商業を発展為政者を悪く評価する教育が為されてきた。バカブロガーのように日本の教育の悪い部分をすべて日教組のせいにするようなことは書きたくないのだが、日本の伝統的価値観が重視した戦前の教育と、反資本主義的な日教組の影響が強かった戦後教育は実は地続きで、「金儲け=悪」「質素倹約=美徳」という価値観は、日本の伝統的保守もサヨクで共有されるのだ。
 日本人は学校教育で純粋培養されながら、一部の人は大学で「金儲けしなさい」のという授業を始めて受け、また多くの人は社会人になって急に「会社のために金儲けをしなさい」と言われるのである。
 正義感が強く、日本の伝統的価値観に対するコミットの高い人は、正直資本主義に違和感を抱いたまま、日本経済の道先案内人として君臨する。本当に金儲けをしたいのなら、お金をどんどん借りて投資して回収すべきなのに、なぜか日本では無借金経営なんていうのが評価されたりする。資本主義を嫌いながら商売していることによって起こる現象である。

エリートが唯一正義感を鼓舞できるのが財政論

 心の底では金儲けを蔑み、資本主義に違和感を抱きながら、金儲けをしたり、指南しているエリートにとって、財政再建論は自分の正義感を鼓舞できる数少ないステージなのだ。人間は悪を糾したり、正しい意見を鼓舞する時、自らの正義感が満たされ、快楽状態を手にすることができる。
 財政再建論の多くは、こういった快楽への欲求が先走り、冷静さを失った状態で書かれたものではないであろうか。多くの財政再建論が読むに値しない現実を考えると、これらは官能小説と何ら代らないものだと言わざるを得ない。