なぜ「どういう国を目指すか」という議論をせずに、いきなり消費税アップの話を始めるのか?

 そもそもどういう国を目指すかという理念があり、その次ぎにそのための手段としての政策があり、あの後に財源論が出てくる。しかも消費税アップという話はその財源論の一つに過ぎない。本来なら2の次、3の次の更に下位に置かれるべき議論なのに、なぜか1次的に議論になる。
 別に議論するだけなら、どんな政策も議論するのは自由である。議論した上でやらならい方がいいという結論に至る政策もあるのであるから、議論するのはむしろ良いことだ。
しかし、ここまでマスメディアのミスリードが酷いと、鳩山政権は「消費税の議論はいっさいしない」といった極端な表現を敢えて使った方がいいかもしれない。マスコミは税制の議論をするというだけで、勝手に消費税アップを既定路線化しようとする。税制は消費税だけではない、他の諸税も含めて大いに議論すべきなの、完全にスルーだ。
 それにしても、なぜ日本は「どういう国を目指すか」という議論を全然やらないで、いきなり方法論に過ぎない消費税アップの話をしたがるのか?

目的はバラバラでも手段は共有できる怪

 どのような国を目指すのかという基本理念がバラバラでも、手段の部分で利害が一致することがある。理念が異なる人間同士がいくら話し合いをしても埒が明かないが、それをペンディングにして方法論に逃げた方が利害が一致することがある。それがまた政治というものであったりする。
 「消費税アップ」というのは以下の4つのグループにおいて、方法論として利害が一致する可能性がある。

1. 財政再建
2. 福祉国家派(大きな政府―垂直的格差是正)
3. 公共事業積極派(大きな政府―水平的格差是正)
4. 税制改革派(新自由主義の亜流。法人税やフラット税制導入と消費税アップを一体に考える。)
財政再建も本来は目的であり、何のために財政再建を急ぐのかという目的意識で更に分類可能だが、実態政治では目的化されることが定着しているため、これ以上は分類しない。

実際に麻生政権は、麻生前総理ら公共事業積極派と与謝野前財務相財政再建派が将来の消費税アップで結託し、消費税アップに反対する上げ潮派を追い落として成立した政権だった。仮に麻生政権が長期政権となったら、近々消費税アップが実行され、増えた税収は財政再建小泉政権来削られ続けてきた公共事業の復活という形で成果を分け合うことになったであろう。または、財政再建派と公共事業積極派の間で政権闘争が起きたかも知れない。
まったく理念が異なる大手新聞社が、消費税アップを是とすることでは一致するのもそのためである。

理念を詐称し政策を実行するという常套手段

 消費税アップを訴えるマスコミ、有識者はみな2.の福祉国家派のフリをする。彼らの過去の言動を調べ、社会保障の充実を訴えたことがあったかよく調べてみるといい。中には平然と社会保障を敵視する発言をしていた人もいる。単に、社会保障を充実させるために消費税アップが必要だと訴えた方が通りがいいから、理念を偽装しているのだ。
 もちろんベタに消費税を高くしてでも北欧のような福祉国家を作るべきだと訴えている学者もいるが、ほとんどが詐称社会福祉論者なので、みな信用しなくなっている。財政学者などが「なぜ消費税はここまで嫌われるのか」と言うような発言をすることがあるが、みな自分の本当の理念を隠して偽善的な発言を繰り返すことに最大の理由ではないか。

「税金の無駄遣いを止める」もまた手段に過ぎない。

 民主党はまず税金の無駄遣いを止めさせようということを主張し政権を奪取した。ただ「税金の無駄遣いを止める」という行為も「消費税アップ」と同様「手段」であり、複数の理念をもった人が共有している「手段」である。
 「税金の無駄遣いを止める」というのは以下の3つのグループにおいて、方法論として利害が一致する可能性がある。

1. 新自由主義派(小さな政府)
2. 都市型リベラル(公共事業を減らして、その分で社会保障を充実)
3. 財政再建

 本来的には「消費税アップ」と「無駄遣いを止める」というのは対立概念でなく、例えば財政再建論者にとっては両輪で進めたい事項だったりする。財務省が鳩山政権の事業仕訳に協力的だったのはある意味当然で、無駄遣い議論を早く終わらせたほうが早く消費税アップを争点化できるという狙いがあったと考えられる。
 民主党にとっては、いろいろな理念を抱えた議員を束ねるために方法論を利用したという意味で自民党と事情は同じである。ちょうど民主党の議員の類型を束ねやすい方法論が「無駄遣いを止める」であり、これに注力している間は党内結束が担保しやすいという事情がある。

「消費税アップ」と「無駄遣いを止める」を対立概念にしたがる人たち

 財務省が「無駄遣い削減」と「消費税アップ」の成果を両得しようと強かに計算しているのに比べ、なぜかこの二つを対立概念であるがの如く語る有識者も少なくない。逆に考えればここに本音が見え隠れする。
 「無駄遣い削減」を批判し「消費税アップ」を唱える人たちは、財政再建派でも新自由主義者でもなく、公共事業積極派の可能性が高い。消費税アップによって財政に余裕が出れば、減り続けた公共事業をいくぶんか復活できると考えているのだろう。

誰も日本の未来を語れないのか?

 公共事業積極派は「日本はどうすべきか」という議論に参加したら負けるのがわかっている。地方の疲弊が問題になっているが、その打開策はいまだ見出せず、永久的に公共事業を続けていく選択肢はあり得ないことは理解しつつも、当面は公共事業を増やすことでしか活路が見出せないからだ。
 財政再建派も、仮に財政再建が達成できた暁に、次に何を目指すのかは語らない。恐らく財政赤字などなくならないから、財政再建論者は一生財政再建だけを唱えて墓場に行くのだろう。
 新自由主義者も、世界的に新自由主義批判が沸き起こっている中で声を沈め、福祉国家派も90年代以降の福祉国家批判のトラウマから抜けきれず、高福祉を謳うことを躊躇している。
 誰も胸を張って日本の未来の設計図を出せない現状では、いきなり方法論からという相撲が続くのであろう。