無給化社会の功罪。〜職業そのものに魅力があれば無給でも成り手がいる。〜

 給与を決める要素は大まかに二つあって、労働価値と労働市場の需給関係だ。日本の場合、労働価値という基準が曖昧で、企業の付加価値で給料が決まる要素が強く、付加価値の高い企業にいれば付加価値の低い労働に就いていても高い給料が得られる場合もあるのだが、付加価値の低い企業でも、付加価値の高い労働にはある程度の給与を保障しないとならない。
 付加価値の高い労働は、労働供給が限られるので、需給関係で給料をある程度高くしないと辞められてしまうからだ。
 基本的に高度なスキルほど供給が少ないのが普通で、高度なスキルほど給料が高くなるのだが、高度なスキルを持った人材に需要が付いていかないと、給料水準が下がる。実際に歯科医師などは給料崩壊が起きている。かつて医師会が医学部の定員削減を主張し、医療崩壊を誘発させたのも、受給バランスを維持して高所得を維持したかったからだ。
 普通は高給な仕事は「花形職種」と呼ばれ、そのために人々がスキルアップに励むのだが、中には給料水準ではなく、その仕事の中身に憧れて供給が増えるケースがある。その場合需給バランスが崩れて薄給化するケースが多々ある。以下その事例である。

給料がただでも成り手がある職業はいくらでもある。


 極論を言えば、列車の運転士は給料がタダでもやりたい人はたくさんいるだろう。海外の保存鉄道などで、ボランティアによって運営されているケースがほとんどだが。
さすがにいすみ鉄道は一般客を輸送する鉄道だ。乗客の安全責任を負う人が無給というのでは乗客の片が不安になる。ある程度給料は払うが、免許取得なんてもので稼ごうという発想になったのだろう。
地主とか、金持ちの親に扶養されているどら息子とか、世の中には労働収入がなくても生きていける人はたくさんいる。鉄道の運転士が100人必要な会社で同じことをやるのはムリだが、数名なら簡単に集められる。

「芸能人」「モデル」は稼げない。それでも続ける価値

ちなみに芸能人やモデルは、「花形職種」で、稼げるから同時に憧れる職業の典型のように思われるが、実際には稼げていない人の方がほとんど。タダ働きに使い状況で活動している人は数多といる。それどころか、レッスン代や宣材量として足が出ている人も少なくない。つまり「みんなが憧れる職業」は無給でも成り手がいるのである。
また若い女性の場合は特殊な事情があり、「芸能人」「モデル」「局アナ」「スチュワーデス」などは、女性の結婚偏差値を大幅に向上させ、高い年収の配偶者をチャンスが増える。武豊や将棋の羽生善治、清原の奥さんは何れも泣かず飛ばずのB 級タレントだった、おそらく給料もろくにもらえないような立場だったであろう。「芸能人」や「モデル」が稼げない、あるいは足が出ていても、親が援助しても続けさせるのは、親もそのことを理解しているからだ。

「みんなの憧れ」で苦しむアニメ産業

 給料に関係なく供給過剰な職種の典型といえばアニメ関係の仕事だろう。アニメ産業の労働条件が極めて劣悪なことはさんざん喧伝されているが、それでもこの業界を目指す人が後を立たない。余りにも供給過剰なので、親の援助で生きていけるような人がある程度いればこの産業は回ってしまう。喰えなくてこの産業から離れる人がいても、いくらでも代わりの人材がいるからだ。アニメ産業を健全化するには、「若いうちは好きなことをやりなさい」等という甘い親を根絶することであろう。いくらでも人材が供給されるから、体質改善が進まないのだ。
人件費が上ったらアニメ産業が成り立たないと言うのであれば、もうこの産業には期待しない方がいい。安い人件費を前提にしないと成り立たない産業なんて日本に必用がない。「これからの日本はアニメ産業だ」なんて言っている政治家や学者は足下を見てからモノを言って欲しい。

無給化の類型「新しい公」

職業に対する憧れは、労働の価値を歪め人々を不幸にする危険性がある。だがしかし、それで満足する人がいればいいのではないかという考えもある。同じようなスキームで政治家も無給化できるはずだ。もちろんその場合、金持ちしか政治家になれなくなるので、お金持ちの意見が政治に反映されやすくなるリスクがあるので、昔から左派が反対する傾向にある。
しかし地方議員は無報酬という国は非常に多い。財政が厳しい昨今においては、そろそろ袖は振れない。議員の無給化を考えてもいい頃ではないか。
鳩山総理が言う「新しい公」というのも、つまり無給化だ。公的な職業で魅力的な労働であれば無給化は可能だろう。ただ、憧れだけじゃ公は埋まらない。つまらない誰もやりたがらない仕事を無給化するには、別の知恵が必要だろう。