公共投資を都市部に集中せよという意見

 日本はここ20年間ずっと、財政再建論者と新自由主義者と都市型リベラルの予定調和の上に「公共事業悪性論」が世論をリードしながら、政治的には「公共事業によって地方経済を支えるシステムを温存したい勢力」がアドバンテージを縮小させながら生きながらえてきたという実態がある。そのアドバンテージが潰えたところで、麻生自民党政権の崩壊があったと言える。
 だが公共事業を減らしてその予算を福祉に回せと言う都市型リベラルは別として、エスタブリッシュメントの多くは原理的な財政再建論者や新自由主義者な訳ではなく、「田舎で投資効果の低い公共事業をやるのはダメだが、都市インフラには積極的に投資しろ」という公共投資集中論を唱えている。

公共投資集中論と政治

 民主党は田舎の効率の悪い公共事業をはっきりと敵視していたので、エスタブリッシュメントの中にもその点は麻生路線の自民党よりマシだと考えていた人も少なくなかった。ところが民主党が政権を取ると、一部陳情を受ける形で地方の投資効率の低い公共事業を認める一方、都市インフラ整備を特に熱心にやろうとはしないので、エスタブリッシュメントの間で不満が鬱積しているようだ。前者の批判は「民主党らしさがなくなった」という言葉で、後者の批判は「成長戦略がない」という言葉でマスコミが無意識に代弁している。
 つまり地方の陳情は毅然とした程度で黙殺し、都市インフラ整備を大々的にぶち上げれば、鳩山政権のエスタブリッシュメントの間での評判は上るだろう。ところが、民主党は総選挙で地方選出議員を大幅に増やし、かつてのように都市重視の党内世論が形成されにくくなった。ましてや地方の民意が最大化する参院選直前となるとますます困難になる。公共投資集中論は選挙制度との親和性が悪く、どの党が政権を取ろうが政治と矛盾する宿命にあると言える。

公共投資集中は地方分権と矛盾するのか?

  日本が地方に余計な税金をばら撒いている間に、韓国は予算を集中させて成功したという話は、多くの識者の口から聞くう話だ。ただ、公共投資集中論は田舎の公共事業を糾弾するが、地方の拠点都市への投資も集中投資の対象と考えている点を留意する必要がある。
 韓国の代表港はソウルの外港の仁川でなく釜山であり、国の代表港が釜山であることによってソウル一極集中を防いでいる。アメリカのハブ空港はNYよりアトランタやシカゴの重要性が高いし。そもそもNYは首都でない、元々アメリカは都市機能を分散させる戦略から成り立っている国だ。
 首都以外の都市を国際的な拠点としている国は少なくない。そのような都市は重点的なインフラ整備を行う対象となる。

日本の地方分権論に欠けているもの

 日本も東京以外の都市を国際的拠点と整備する方法もあるのだが、そういうデザインがない。今のままでは「公共投資集中論」と「地方分権論」は対立概念になり、前者を是とする経済界や知識人と、選挙制度上地方を重視せざるを得ない政治の利害が一致しないまま、膠着状態になるだろう。
 よく議論になる道州制も何が狙いなのかよくわからない。47都道府県すべてが直接世界と繋がるのは不可能なので、複数の大都市を国際都市として東京が担っている「世界の顔」の機能を一部代替するのであれば機能するであろうが、単に自治体数を減らすのが目的だとしたら、道州都から外れた県庁所在地を見捨てることによって国から地方に分配する予算が少し減らせましたというだけで、道州都は単に切り捨てを免れた地方都市という結果になり、ますます東京一極集中が進むであろう。
 難しいのが、東京が地政学的に国土の中心に位置し極めて優位な点である。他の地方都市に国際的機能を担わせるメリットがなかなか出しにくい。ソウルもNYもその国の辺境にあるというケースとは大きく異なる。冷静に国際都市になり得る都市があるか議論し、あれば拠点都市として集中的なインフラ投資をすべきだろう。無理ならば、割り切って日本は東京一極集中でやりますというのも、それはそれで一つの判断だ*1
 

*1:政治的にそういう判断を下すのは極めて困難で、建前上は国土の均衡発展を唱えながら、実態は一極集中が進むという、今までの流れを黙認するだけかも知れないが…