覇権的ナショナリズムと鎖国的ナショナリズム

 紅白歌合戦K-POPの歌手が一組も選ばれないことに対して、私の顔見知りがMixiで論争をしていた。2人とも自称愛国者なのだが、1人は「NHKは韓国人なんか出すな、妥当な判断だ」と、もう1人は「日本はアジア音楽の中心となるべきで、紅白歌合戦はその象徴になるべき。NHKの判断は誤りである」と反論した。
 ナショナリストにも鎖国的なナショナリストと覇権的なナショナリストがいるのがわかる。ともに日本が外国の影響下に置かれるような国際化には否定的だが、後者は日本が中心となるような国際化には非常に肯定的。前者はすべての国際化に否定的なのである。

 同様なケースは大相撲にも言えるだろう。外国人力士に眉をひそまるのが鎖国的なナショナリスト。世界でもっとも稼げる格闘技として世界中の格闘家が大相撲に集まり、世界の格闘技の雄としての大相撲を是認するのが覇権的なナショナリストの態度だろう。

 私はなんとなく鎖国的なナショナリズムは夢がなくて弱々しい印象を受ける。戦前のナショナリストには覇権的なナショナリストが多く元気だったのに対し、最近の右傾化した若者の言説は鎖国的で弱々しいチキンの香りがする。
 もっとも大東亜共栄圏の理想を掲げて大陸進出を主張したのが覇権的ナショナリズムの所作だとすれば、この弱いナショナリズムに洗脳された方が平和を維持できるのかも知れないが…。