いじめの類型〜子どもの世界のルール〜

どういう子がいじめのターゲットにされてしまうのか。

 いろいろ報道を見ていると、いじめられっ子にはまったく無憑ないじめられっ子と、何らかきっかけがあっていじめられているケースに分かれているようだ。最近横浜市自閉症の子がいじめに遭い転校したケースは前者に当たる。ハンディーのある子がいじめに遭うケースでは、ハンディーそのものをからかわれたり、ハンディーがあることによる弱さに付け込まれていじめられる。いじめられる側に非はない。
 一方、いじめられる側に何らかの原因があるケースもある。子どもの世界には子どもの世界のルールがあって、そのルールより大人のルールを重視するような子に対して私的制裁としていじめが行われるケースが多い。子どもの世界の序列や派閥を無視したり、子ども同士のトラブルを自分たちで解決するのではなく、先生や親の力を借りて大人のルールで解決しようとしたりするような子はターゲットになりやすい。子どもの世界では、そういう子は「嫌な奴」という共通認識があるのである。
 前者の場合、いじめられっ子を助けたりする子もいて、問題が長期化しないのであるが、後者の場合は、クラス内で「こいつはいじめられても仕方ない」という空気が支配し、いじめが長期化、教師や親に言えば、また大人のルールを使ったといじめがエスカレートし、問題解決を長引かせる。

道徳教育の効果は限定的

 よくいじめを撲滅するために、道徳教育を重視しろと言う意見が散見されるが、私は懐疑的である。つまり前者のように、弱い立場の者をいじめるのは卑怯で格好悪いと教えることは一定の効果があると思う。
 しかし後者のようなケースではむしろ逆効果。道徳教育は子どもに大人のルールを強いるもので、いじめっ子というのは子どもの世界のルールの支配者であるから、ふざけるなと思うだけである。
 もちろん、教師が子どもの世界のルールを卒業させ、うまく大人のルールに共感する道徳教育プログラムを作れなくもないが、教育者の多くが子ども同士がコミュニケーションを積むことが成長過程に必要だと理解、つまり子どもの世界のルールの存在を半ば認めているのである

ネットでの私的制裁の意味

 大津の事件では、加害者の名前を晒したり、その親族の勤務先に電話するといった私的制裁が頻発しているようである。このような行為をが、いじめの撲滅の効果があると信じている人も少なくない。もちろん私も効果がなくはないと考える。ただ効果があるのは、いじめられって子が無憑な前者のケースだけだろう。大津の事件でいじめられていた子がどちらであたか定かではないが…。
 「制裁されても仕方ない人」を攻撃するという点で、ネットでの私的制裁は後者のいじめと同類のものである。大人の社会が「制裁されても仕方ない人はいじめてもいい」ということを肯定すれば、子ども、学校の中で「制裁されても仕方ない人」を見つけて、むしろ後者のいじめを誘発する危険性がある。
 ネットでの加害者への私的制裁を支持している人は、その辺も冷静に考えて欲しい。