2005-07-08から1日間の記事一覧

すべてが劇場化する

自分自身を売り物にするタレントはある意味生活自体がドラマであり、芸能界全体が舞台とも言える。究極的にはそこで繰り広げられる茶番劇を消費して楽しむことが主劇で、俳優の演じる映画やドラマ、芸人が繰り広げるネタはすでに劇中劇に成り下がっているの…

ワイドショーとバラエティ番組の境界の消滅

自分自身を消費の対象にすることにより、タレントの私生活を専ら消費の対象としてきたワイドショーとの区別が曖昧となる。さらには芸人でないタレントが、俳優や歌手をやるわけでもなく、ただ自分自身や私生活を切り売りするだけで仕事ができる状態までに至…

自己完結しない形のキャラタレントの登場

さらに番組内でボケで誰かにいじられるのでなく、むしろ毒舌を吐き、いじる側のキャラタレントも増殖した。デヴィ夫人や神田うのといったタレントがそうで、視聴者の反感を買うためのヒールとして存在する。彼女らは番組内ではむしろクローザーで毒舌を吐い…

いじめから自虐、相互虐

いじめられキャラがいじめ役がいないと成立しないのに対し、自虐という手法が勃興した。もちろんネタ芸人による自虐ネタもそうだが、ここで言うのは存在自体の自虐である。デブ、ブス、ハゲ、負け犬、その他離婚等の私生活の不幸等、自らのネガティブな部分…

消費対象の拡大

いじりと言えばとんねるずの石橋貴明も挙げておかねばならない。明石屋さんまの基本が天然ぼけキャラいじりであったのに対し、石橋のいじりは基本的にはいじめである。クラスでいじめられっこがいじめられてその反応を楽しむというかなり悪質な手法をブラウ…

芸人と一般タレントの境界の消滅

キャラ芸人は存在そのものが消費対象であり、芸人として高度な熟練を必要としない。そのため一般タレントが次々とキャラタレントとして刈られていった。いじることによって偶然的な笑いを再構築させてゆく明石屋さんまの手法はさらにその傾向を助長させた。…

素人いじり

実は明石屋さんまの芸人いじりの手法は素人いじりと何らかわらない。「恋のから騒ぎ」での素人いじりと他の番組でタレントをいじる方法は何らかわらない。タレントいじりのルーツは基本的には関西の番組である公開放送での素人いじりにあると思われる。更に…

キャラ芸人の登場

芸でなく存在そのものを価値とし消費の対象になるタレントというのは昔から存在した。見世物小屋に出ていた人々がそうであったし、古典的なドタバタ喜劇には性格俳優みたいなものは不可欠であった。しかし喜劇が一定の役割を持ち続けた関西は別として、関東…

いわゆるタレントが氾濫する

TV

TVに出演する芸能人は、かつては俳優、歌手、芸人、司会者、モデルに分類することができた。もちろん複数の領域を兼ね分類するのが困難である人も多かった。しかし最近はこれに分類できないいわゆるタレントが急増している。文化人タレントや弁護士や料理人…