日本人は今も昔も立身出世欲は誇示しない

<高校生意欲調査>「出世意欲」、日本は断トツ最下位 4月24日 毎日新聞

 日本の高校生は米中韓の高校生よりも「出世意欲」が低いことが、財団法人「日本青少年研究所」の「高校生の意欲に関する調査―日米中韓の比較」で分かった。

 「偉くなりたいか」という問いに、「強くそう思う」と答えた高校生は中国34.4%▽韓国22.9%▽米国22.3%に対して、日本はわずか8.0%。卒業後の進路への考えを一つ選ぶ質問では、「国内の一流大学に進学したい」を選択した生徒は、他の3国が37.8〜24.7%だったのに対し、日本は20.4%にとどまった。
 また、将来就きたい職業では、日本は99年調査よりも弁護士や裁判官、大学教授、研究者の割合が低下。特に、公務員は前回の31.7%から大幅減となる9.2%だった。逆に「分からない」を選んだ生徒が6.2ポイント増の9.9%になった。

 この調査もベタすぎるし、このニュースに関するブログエントリーもベタなものばかり。紋切型の若者批判や「ゆとり教育のせい」といったおバカなコメントはもう辟易する。
 だいたい日本人は今も昔も「立身出世したい」なんてはっきり答えません。みんな口では「出世だけが価値ではない」といいながら虎視眈々と出世を狙っているんです。それが日本人なんですよ。
 そういう文化的背景を考慮せずに米中韓の高校生と比較しても意味はない。


そもそもなぜ、日本において立身出世願望を潜在化させるようになったのか?私が考えるに、日本において相当な実力主義の伝統的蓄積がなかったからだ。実力だけがものを言う世界の方が少数で、多くの世界では実力外の属人的要素や権力者への媚態により出世が決まっていた。出生する=汚い手を使うということで、実利の面で出世を願っていても潜在化させる文化ができてしまったのではないか。


また上流階級が世襲により決定するような風習が多く残ったために、社会的地位の高い職業に対し憧れ以前に敵視する考えが芽生え、目標になりにくくなっているのではないでしょうか。これについては
若者殺しの時代 (講談社現代新書)』という著作に面白い調査が紹介されている。
 『一杯のかけそば (角川文庫)』という短編小説に関する読み手の受け止め方に関する調査だ。この物語は、貧しい母子が年越しにささやかな贅沢としてそば屋で一杯のかけそばをすするっていた。毎年大晦日に現われていたこの母子がしばらく姿を見せなくなった。何年か後にこの母子がみなりも良くなりこの店を訪れた。息子は医学部を卒業し医者になっていたという、立身出世感動ハッピーエンド物語だ。
 80年代の調査では感動する読者が多いのだが、90年代の調査では立身出生ストーリーに反感を覚える読者が増えてくるという分析をしている。当時の世論では医師会の政治力により医者が既得権益に守られ、他の職業に比べ高い収入を得ることを可能にしていることへの反発などが背景にあるようである。


公務員になりたいという人が減るのはまた当然であろう。これだけ連日マスコミが公務員バッシングをしているのだから。でも公務員志望と口外する人が減るだけで、なんやかんや公務員になるのが安泰と思っている人はそれ程減っていない。また娘の彼氏が公務員だたったら大喜びする親が相変わらず多いというのが日本の現状である。